2012年6月12日 (火)

京都ヒューマン大賞・母の授賞式

先週の水曜日、「京都ヒューマン大賞」の授賞式が開催され、受賞者の母の同伴として、出席しました。

My mother won the 「Kyoto human prize.」
I attended the award ceremony.



母のスピーチ場面です。

My mother did the greeting of the award.

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スピーチの中で、母は、

「医者として歩み始めてすぐに、年子の子供(私と弟)を授かったが、当時は長時間保育の場が無く、保育所を転々としたこと。」

「子供を預けなくてもすむようにとの思いで、他人の民家の軒下を借り、夜間診療を始めたこと。」

「そのため、これまで24時間保育の充実に、力を入れてきたこと。当保育室は、職員以外の病児保育も、受け容れていること。(職員の負担金は、月1万円であったが、地域の病児保育も受けていることから、安すぎるので値上げをするようにとの、保健所からの指導があったとも、話していました。)」

My mother gave a speech as follows.

「I became a doctor and was immediately blessed with two children.
However, the day nursery was scarce those days.
I changed my address frequently. 」

「I opened the clinic so that it was not necessary to deposit a child.」

「I established the nursery school for 24 hours.
This nursery school has also contracted sick-children childcare of the area. 」





その後は、「今後、少子高齢化により、医療・介護の役割は増えるはずであるのに、現場を知らない 厚生労働省などの政策に振り回され、どんどん疲弊していっている現実がある。」と 続きました。

「Japan becomes the society of low birthrate and longevity.
However, the Ministry of Health, Labour and Welfare exhausts the medical spot.
They do not know the spot. 」





母が、私たちのためにとの思いで、夜間診療を始めたということは、初めて聞き、思わず涙が出そうになりました。

I got to know that the mother opened the clinic for us for the first time.
I was likely to cry.





私が幼い頃の、心の中にある原風景は、陽が落ちて 薄暗くなった保育所の園庭のジャングルジムに上り、弟と二人で、お迎えを待っていました 自分の姿です。

私たちは、いつも 「お残り」でした。

When I was a child, we were waiting for the person to meet in the nursery school till night.

I remember it.
It is the figure in which I climbed the jungle gym and was waiting for the person to meet in twilight.





思春期の頃は、母は、私が登校する前に 仕事に就き、私が寝室に入った後の 11時半頃に帰宅していました。

当時の母の睡眠時間は、4時間ほどでした。

When I was a teenager, my mother took up work before I went to school,and she came home after I went to bed.

My mother's sleeping hours were about 4 hours at the time.





その頃の私は、自分は 母に忘れられた存在なのではないかと、勝手に思っていたものです。

Those days, I thought that my mother forgot of her daughter.





しかし、その後 私が結婚し、長男を授かりました時には、ウィークデーのほぼ毎日、仕事を終えた後、母は、赤ちゃんの入浴のために来てくれました。

その年は、雪の多い年でした。
いつも 夜中の12時前に、翌朝の仕事のために、チェーンを巻いたタクシーで帰って行きました母の姿を、今も 雪が積もると 思い出します。

However, after that, I got married and was blessed with the child.
My mother came to my house for my baby's bathing almost every day.

Much snow lay in that year.
She returned to her house by taxi which equipped the chain in the dead of night.

Even now, I will be reminded of the figure of hers, if snow lies.



次男が生まれました時にも、同様に、毎日通ってくれました。
どれほど体力的に大変であったことかと、つくづく思います。

Also when I bore the second child, my mother passed to my home every day.

I became the present and got to know the hardness of the mother of those days.



今、当時の母より うんと年上になりました私は、母ほど 懸命に生きてきたかどうかと、自分を省みます。
今もまだ、母には 守られてばかりの私ですが、これからは 精一杯 親孝行できればと願っています。

ありがとうございます。

I become older of her in those days. 

Am I doing my best for life like her?

I am still thankful to her who protects me. 






(追記)

お庭の紫陽花が、たくさんのお花を付けました。

もともと、紫陽花好きの母のために 植えましたものです。

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(追記2)

福ちゃん、お休み中。

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福ちゃんは、後ろ足のバランスが 少々小さめです。
おそらく、成長期に 骨盤骨折のため 栄養が充分行き渡らなかったのかもしれません。

それでも、一年前には麻痺していました後ろ足で、いまや 跳んだりはねたり、

最近は、なんと! 2本足で立ち上がり、当たり前のように ドアを開けます(^o^)。

保護された時、獣医さんからは、
「骨盤が折れて、ゆがんでくっついているので、おそらく麻痺は、一生治らないでしょう。」
と言われましたが、
「どんな状況でも、最初から無理・・・と 諦めたらあかん!」
という希望を持たせてくれます、福ちゃんの元気ぶりです。

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さくらちゃんは、日中は、ほとんど 日向ぼっこです。
それでも、食欲は旺盛で、大声で、「おやつ頂戴!」「ご飯頂戴!」と言いますので、福ちゃんは いつも、小さなさくらちゃんに 負けています(^^ゞ。




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2011年2月24日 (木)

大原の里からのお便り♪

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以前 主人の患者さまでしたかたから、お手紙をいただきました。

数年前に 老人ホームへ入所されて以来、病院へはおいでにならなくならはりましたが、お元気にお過ごしのようで、安堵しました。

「(原文抜粋) 私は百歳になり厚釜しく今日も命頂いて老人ホームに暮らして居ります。大原は山が沢山並んでおりまして風景はよろしいのですけれど家を離れ住みます事は誠に淋しく思ひます
(略)今は昔習ってをりました絵、ベッドに腰をかけまして片眼しか見えないながら窓外の景色を描いて楽しみに致してをります
今日も命頂いてをります私の下手な絵を同封させて頂く失礼何卒お許しくださいませ(略)」

いつも、お中元お歳暮などいただきましたら、私自身は お目にかかったことが無くとも、できるだけ 相手のかたをイメージしながら、手書きで お礼状を書くようにしています。

このかたは、常に お礼状の そのまた お礼状をくださっていましたし、メロディカードをお送りしました時には、

「大喜びで大切に箱にしまひ時折開けては音楽を聴き宝物にしてをります」との お便りをいただき、ずっと心に残っています。

実際には お会いしたことが無く、主人から 「いつも和服姿の、上品なおばあさん」と 聞いていましただけなのですが、一筆一筆 丁寧に書かれました お便りをいただく度に、何か 心の糸が繋がっているような 温かい気持ちになります。

洛外 大原の里も、もう間もなく 春の芽吹きの季節がやってくるでしょう。

一度、思いきって お訪ねしてみようかと 考えているところです。

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2009年11月19日 (木)

T君の洗礼

インターネットのあるコミュニティーに マクドナル神父のことを書きましたら http://yumih8.cocolog-nifty.com/1000winds/2009/09/post-6044.html  

「僕も マクドナル神父のレクチャーを受けたいと思います」 との旨の メッセージが届きました。

難病のため、京都の西のはずれの かつて結核療養所でした国立病院に 入院中とのこと。 うちの息子達より 少し年上です。

まだお若いのにと不憫に思え、また マクドナル神父は お優しいかたですので 事後承諾でも許されるでしょうと判断し、それでは 次のレクチャーの時に ご一緒しましょうと 返信しました。

ところが、その後 そのT君は 指先のみが動かせること、24時間人工呼吸器が必要なこと ・・・・・ などの事情がわかり、それでは 車椅子での移動も難しく、専門の介助のかたが必要でしょうし、病院の許可も 得なければなりませんし ・・・・・ と、周囲が心配をしてくれました。

とはいえ、一旦お約束しましたことを 反故にはできません。

そうしたことを マクドナル神父にお話ししましたところ、「では こちらから行きましょう。」と 言ってくださいました。

日曜日の午後、主人と 車で 神父様をお迎えに行き、 街の外れの その病院へ行きました。

Photo_2 休日のせいもありましてか、静かで 人影も少なく、色づき始めた木々の中に ひっそりと病棟が 建っています。

館内は 簡素ですが、清潔で、スタッフの人々も 淡々と 職務を遂行していはります。

ホールには、車椅子で動ける状態の入所者達が 出てきてはりました。 まだ小学生くらいの 子供さんの姿もあります。

国の税金も こうしたところへ使われていますなら 本望やなぁ~と・・・・・。

T君のベッドは 6人部屋の 窓際です。

お布団の下ですので よくわかりませんが、指先に パソコンのコントローラーが セットされていますようです。

顔も動かすことができませんので、勘と手探りだけで とても上手に スピーディーに、頭上にセットされていますモニターの画面を操作しはります。

びっくりしました。

お向かいのベッドの子は パソコンが使えませんようで、頭上に 漫画雑誌のページを開いてセットしてありましたが、次に 介助者が来てくださるまで そのページをめくることはできません。

インターネットでは 自由に あらゆる情報を得ることができます。

ただ それは 同じ年代の他の子達の 生活や会話も 見ることができるという事でもあります。  それを思いますと 複雑な気持ちです。

Photo T君は、以前にも 洗礼を受けたいと願っていましたものの、諦めていはったそうなのです。 

マクドナル神父は、T君の頭に優しく手をおき 祝福を与えはりました。

そして、「これから、できるだけ毎週来て、私の でこぼこの日本語で 一緒に学びましょう。」と、また クリスマスまでには 洗礼を授けましょうと 言ってくださいました。

私も 少し お約束の責任が果たせましたようで、安心しました。

神様、マクドナル神父様、ありがとうございます。

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2009年6月 5日 (金)

人は何のために 「祈る」のか。

Glrs 筑波大学名誉教授・村上和雄氏と 京都府立医科大学教授・棚次正和氏の共著 『人は何のために「祈る」のか』を 読みました。http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E3%80%8C%E7%A5%88%E3%82%8B%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%81%8B-%E6%9D%91%E4%B8%8A-%E5%92%8C%E9%9B%84/dp/4396411057

副題は、「生命の遺伝子は その声を聴いている」 というものです。

以下、本文からの抜粋ですが、

「何かに強い期待や願望を抱いた人は、自分の心にその実現を念じます。 念じることは祈りに似ているところがありますから、強い期待は祈りとも言えるのです。 (中略) 「熱烈な思いは天に通じる」といいますが、思いは天ばかりでなく、細胞の中の遺伝子に直接働きかけます。」

「現代人に決定的に欠けているのは直観知のほうです。科学的に考える癖をつけて以来、「科学的に証明できないこと」 を信じたがりません。その結果、何が起きたでしょうか。人間は もともと備わっていた鋭敏な五感を鈍らせてしまいました。これは大きな問題です。」

近年、アメリカにおきましても 医学・医療分野におきます 西洋医学以外に基づく医療の割合が、半分以上となりつつあり、この事実に驚きましたアメリカ政府は、この分野に 多額の予算をつける傾向が 増している、とのことです。

もっとも、祈りが治療に有効と認めています医学者でも、その多くは プラシーボ効果にすぎないとも考えていはります。

けれども この本によりますと、近年行われました 心臓病患者さん達によります実験では、他人に祈られました患者さんは、そうではない患者さんより 人工呼吸器・抗生物質・透析の使用率が少ないという結果が出ましたそうです。

しかも 西海岸にあります この病院に近いグループからの祈りも、遠く離れた東海岸からの祈りも、同様の効果が ありましたとのこと。

また これらの患者さんは、祈られていることを知らされていなかったそうですから、プラシーボ効果では 説明できないものです。

よく 嫌なことがあってイライラしていましたり、最近 ツイてないわぁ~と 落ち込んだりしています時に限って、電化製品の調子が悪くなることがありがちですが、やはり 人の心からは 何らかのエネルギーが出ているのだと思います。

そして そのエネルギーは、電化製品に作用しますのと同様に 遺伝子にも作用するのではないでしょうか。

だとすれば、「祈り」という力を借りましたエネルギーを うまく使いますことで、様々な問題を 良い方向へ導いていけますのではないでしょうか。

少なくとも 私は、そう信じたいと思います(^_^)。

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2008年12月18日 (木)

Dr.Hedrik   &  Dr.Iwaguro とのランチ♪

脂肪幹細胞の 発見者 Dr.Hedrik と、マネージャーの  Dr.Iwaguro が、また 京都にみえるとの連絡が入り、主人と4人でのランチを ご一緒しました。

Dr.Iwaguro は 主人の遠縁にあたります関係で、京都入りの時には いつも連絡が入ります。http://www.cytoritx.com/us/index.html

今回も、昨日には 長崎大学で 世界初の 放射線潰瘍治療のための 自家移植に成功し、NHKや 新聞にもとりあげられまして、

また 今日の午後には、IPS細胞研究者の 京都大学・山中教授との面会。

続きまして、京都府立医大で 脂肪幹細胞バンクの設立が決まりましたことに伴う 打ち合わせ。

さらに 明日は、東京の癌センターに寄られました後、アメリカへ帰国という 分刻みのスケジュールです。

そのスケジュールの合間を縫いましての1時間半のランチには、八坂神社の鳥居脇にあります 「柚子屋旅館」を 選びました。

081218_12210001jpg 081218_12210002jpg 門を入りますと 急な階段があります。

この階段を上がり 玄関を入りますと、大通りの喧噪が 嘘のような、静かな空間です。

ほの暗い おくどさんにかけられました 大鍋から湯気が上がり、まるで タイムスリップしましたかのような感覚です。

柚子をたっぷり搾っていただきます 鯛のしゃぶしゃぶや お雑炊は、Hedrick博士の お口に とても合いましたようです。

最初に出されました 柚子ジュースに、「スカイタイム!」と 大喜びされましたので、柚子のことを 英語で スカイタイムと言うのかと思いましたが(^_^;)、 JALの機内で出されます 柚子ジュースのことで、大好物でいらっしゃるのだそうです。

ところで、お別れ際に 「昨日の長崎で買ってきた 長崎カステラです。」と 満面の笑みで 3本も 渡していただきました包みは 「長崎の豚の角煮」でした(^^;)。 (多分、ご自分のものも・・・・・・お家で開けてみられて、驚いていはるのでは・・・・・・)

いつも まるで 偉ぶらず、可愛い お二人らしい ・・・・・ と、主人と 大笑いしてしまいました。(ごめんなさい)

ありがとうございます。

  

 

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2008年9月 5日 (金)

初めてのPET-CT

080905_115700021jpg 生まれて初めて PET-CT検査を受診しました。http://topic.takedahp.jp/

そもそも私は、大学卒業後 これまで、妊娠中の定期検診以外の 「検診」というものを受けたことがありません。

以前 食道潰瘍らしきものができました時や、ひどい頭痛の時に 胃カメラやエコー、普通のCTは 受けたことがありますが、いずれも 原因がわからないまま 自然に完治しました。

この年になりましたら、同年配の友人達は こまめに乳癌検診を受けはりましたり、毎年 ご夫婦で 人間ドック入院をなさるかたや お誕生日に 毎年 PET検診を受けることにしていると おっしゃる人もあります。

私は じつは これまで 西洋医学をあまり信じていませんで (前項に書きましたことと矛盾していますが(^^;))、 子供達が 小さい頃も 抗生剤や ステロイドなどは使いませんでしたし、自分自身も 多少の風邪や熱は ゛自力゛で治します。

さすがに 潰瘍の時には お薬を飲みましたが、ふだんは 風邪薬も飲みません。(と言いつつ、サプリメントは 山ほど飲んでいます ・・・・またまた矛盾 ・・・・・(^^;))

そのような訳で、PET-CT検査を 初めて 体験してきました。

最初にお薬を注射していただき ヒーリング音楽の流れます 薄暗い個室で、50分間 安静にします。 私は、完全に 熟睡していました。

その後 検査室に移り、撮影をしていただきます。 それ自体は 15分くらいです。

待合室には、冒頭の写真のような 熱帯魚の泳ぐ水槽や

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このような、植物をたくさん植えました 大きな水槽もあり、癒されます。

これらを眺めつつ しばらくしますと、先生が 画像診断の説明をしてくださいます。

心配なところは無く、脳も まったく綺麗と言っていただきまして、安心して 帰宅しました。

ありがとうございます(^_^)。

(追記)

特に予定の無い日のお昼は、会社の近くの お蕎麦屋さん「源蔵」の ゛十割ざる蕎麦゛と決めています。

080808_114700011jpg 小麦粉を一切使わず、国産蕎麦粉のみの お蕎麦です。 私の中での お蕎麦ランキングは 断然トップのおいしさです。

つなぎが入っていませんので、打ち立てでないと 茹でた時に ブツブツと切れてしまうそうです。

ご主人一人の 小さなお店ですので、色々 合理的に考えられていまして、お蕎麦を作りながら お金を触らなくてよいように(多分)、自動販売機で お客様が 食券を買い、カウンターに持っていきます。

出来上がりましたお食事を 取りに行きますのも お茶やお水を入れますのも 全てセルフサービスですが、面白いのは デロンギ社のコーヒーメーカーが置いてありまして、飲みたい人は お豆を買って 自分で入れられるようになっています。

ですが 未だに、これが使われていますのは 見たことがありません。

お蕎麦の後は、時間が許せば やはり ご近所の喫茶店 「ぷーさん」で、コーヒーと シナモントーストを いただきます。

080901_122300011jpg コーヒーは、ご主人が サイフォンで 丁寧に入れてくださいます。

080901_122700011jpg シナモントーストは、厚切りパンに バターとシュガー そして たっぷりのシナモンパウダーが載っています。

せっかく 100%蕎麦粉の ヘルシーな昼食をいただきましても、その後で こんな 高カロリーなものをいただきますのは 矛盾しています ・・・・・・またも(^^;)。

けれども ここのシナモントーストは、シナモンが じつに ふんだんに使われていまして とても美味しいのです。クセになります。

きっと こんなに シナモンをたくさん摂るのですから、体に良いはず ・・・・・と、自分に言い聞かせています ・・・・・・。

今回のテーマは、「矛盾」でした ・・・・・・(汗)。

ありがとうございます(^_^)。

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2008年9月 1日 (月)

Cytori Therapeutics 社  Marc.H.Hedrick 社長の来訪

Photo Mark.H.Hedrick.M.D は、2002年、世界で初めて、皮下脂肪に 幹細胞が存在することを 発見されました。

当時 UCLAの 整形外科・准教授でした Dr.Hedrick は、皮下脂肪幹細胞分離器の開発で 特許を取得され、 Cytori  Therapeutics 社を 設立しはりました。 http://www.cytoritx.com/us/index.html

先日の、「呉へ」の項http://yumih8.cocolog-nifty.com/1000winds/2008/07/post_e3c6.htmlで 書きました、100才のおじい様の お孫さん、岩畔H氏は、医大卒業後 留学先の UCLAで Dr.Hedrick と出会い、マネージャーとして 共に 仕事をしはりますことになりました。

その様な ご縁で、今回、前々日は 九州大学での消化器癌学会へ、前日は 名古屋大学大学院セミナーへ、そして 当日の夕方からは 神戸で 形成外科の瘢痕ケロイド学会へ、いずれも 招待講演を行われるために 来日されました 超多忙なスケジュールの合間を縫って、京都へ 立ち寄ってくださいました。

京都駅に お迎えに行き、お若いので驚きました。 46才とのことです。

Dr.Hedrick と 岩畔氏、日本支社長の S氏とともに、主人の案内で 宇治の病院を見学後、グランヴィアホテルの ゛浮橋゛で 昼食。

 Dr.Hedrick は 日本通で、すでに30回ほど来日していはりまして、お箸使いも 慣れたものです。

床の間のお花にも 興味深いご様子で、また 最後にいただきました お抹茶は 「大好き」とのことです。

皮下脂肪幹細胞によります 再生医療は、九州大学では既に 乳癌手術後の 乳房再生に 素晴らしい成果が出ており、患者様の Quality of Life に 大きな貢献を 果たしているそうです。

自らの細胞で 再生するのですから、安全ですし 確実ですし、全ての臓器に 適用できます。

皮膚科の分野では、ケロイドなどの治療に有効で、美容形成では 安全で確実な 皺取りなどのアンチエイジングに 活用されています。

余談ですが、UCLAは ハリウッドスターの患者さんが多く、Dr.Hedrick のクライアントの 某トップスターのかたは、映画のプロモーションなどの時に お顔のお手入れを依頼されるそうです。

ただ 日本では、まだ 一般病医院で普及するには 厚生労働省の認可の壁があります。

たとえば、輸血は 当たり前の医療行為として行われていますが、血液には 血液幹細胞が 存在します。

他人の幹細胞を入れることは OKで、全く安全な 自分の幹細胞は 認可が困難という 厚生労働省の見解は 矛盾しているのではないかとの声も、出始めているそうです。

Dr.Hedrick は、この数日後 経済産業省での講演も 予定されています。

何故 経産省 ・・・・・ と 思いましたら ・・・・・。

厚労省は、医療費を 必要なところは削り、不必要なところは とって付けたように増やし、しかも コロコロ変わり、そのために 医療業界では 右往左往し、存続の危機に陥っています施設が 多くあります。

まるで 現場の苦悩を 全く知らない人が、思いつきで あれこれ遊んでいはるように見えます。

一方、経産省では 今後の 日本経済の発展のために、医療分野には 可能性があるとの考えがあるそうなのです。

ですので 経産省なのですね。

色々お勉強になりました。

ありがとうございます(^_^)。  

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2007年9月13日 (木)

第33回 日本診療録管理学会学術大会長招宴

昨夜、12日に 第33回診療録管理学会学術大会長招宴が 京都グランヴィアホテルで開催されました。

父が 大会長、主人が副会長、弟が 実行委員長を務めますので、私と長男も 参加させていただきました。

今回は、WHOアジアパシフィック会議が その前日に開催されましたので、WHO関係者も かなり おみえでした。

じつは、WHOの会議で 次男が 通訳デビュー(^o^)/を しました。

もちろん プロの同時通訳者が 二人いらっしゃいましたが、父(次男からみましたら 祖父)の 個人通訳ということで、出席させていただきました。

語学には 自信のあります次男ですが、同時通訳のお仕事も、もちろん 国際会議への参加も 初体験で、「あまり お役に立てへんかったかも・・・。」と 言っていました。

聞いた内容を、どの日本語で伝えるかが 一番難しかったのだそうです。

今 4回生ですが、まだ 進路に迷っています 私の次男に 様々な経験をさせてやりたいとの 父の配慮に 感謝しています。

Photo Photo_2  

昨夜の招宴は 180名程の 円卓のお席。

京都での開催は 初めてです。そのため、京都らしさを 目一杯出しまして、海外や 他府県からの お客様方に 喜んでいただきたいとの趣向で、「祇園・一力」の 芸姑さん方の 「手打ち」で 幕を開けました。

「手打ち」の儀式の由来は、もともと 歌舞伎役者が 新たに契約を結び その土地に入ります時に、地元の花街の人達が ほめ言葉や 祝い言葉とともに 紫檀の拍子木を打ち鳴らしまして、盛大に 歓迎しました習わしから きていますそうです。

Photo_3 宴の半ばには、華やかな 京舞も 披露されました。

9月前半で 日中は 残暑が残ります時季ですので、芸姑さん舞妓さん共に 絽の着物や帯を着てはりまして、普通は なかなか 目にしますことのありません 絽の黒紋付きや振り袖など 楽しく拝見しました。

閉会後、一部の人達で 「一力」で 二次会をします、とのことで 私も 興味津々で 付いて行きました。

Photo_4 ちょっと 年配の お姐様方。

Photo_5 一力のお座敷の雰囲気。

お手伝いの 秘書さんと、芸姑さん、舞妓さん。

ホテルでは フォーマルな感じでしたが、こちらでは グッとくだけた感じ。

いわゆる 「お茶屋遊び」 というものを 初めて観ました。

皆さん お酒も入り、WHOのかたも こんな様子 ・・・。Who

う~ん ・・・ 女性の私には、何とも ・・・ 「・・・」(^_^;)。

ま、見聞を広める 良い機会になりました。ありがとうございます。

そして、今朝は 皆さん 気持ちを切り替えまして、山田・京都府知事や 桝本・京都市長、厚生労働省の方々を お迎えし、「学術大会」の開会式が 粛々と 執り行われました(^^)。

(追記)

Photo_6 今回、父のアイデアで 参加者に配られました 扇子です。

京都の女流画家、森田りえ子画伯に依頼しまして 「立葵」の花を描いていただき、その原画をもとに 扇子に仕立てましたものです。 一般の男物よりは小ぶりで 女物よりは少し大ぶりのサイズになっています。

とても素敵で、早速 帯に挟みまして 活用しています(^_^)。

 

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2007年3月 8日 (木)

「京都府ひきこもり支援情報ポータルサイト」オープンしました♪

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http://www.kyoto-hikikomori-net.jp/

「ひきこもり」は 近年 大きな社会問題となっていまして、京都府でも その支援のための、インターネットによります相談窓口を設けました 情報発信サイトを 開設されました。ホームページ内の相談窓口開設は、行政機関としましては、全国初の取り組みなのだそうです。(3月8日付け京都新聞朝刊にも掲載)

昨年、初めて 我が社も 京都府のコンペに参加させていただき、このサイト製作に携わらせていただきまして、無事 この度のオープンに 至りました。

「ひきこもり」と 一口に 言いましても、様々な原因・様々な状況があり、全てのパターンが同じではありませんので、そのケアにあたられます 専門家やボランティアの方々は 大変なことと思います。

私自身は 学生時代、行動としましては 普通に通学していましたものの、今思いましたら 一種の「精神的ひきこもり」状態でした。ですので、未だに 当時の記憶の乖離などもありますが、まぁ この年になりまして 様々な試行錯誤を経験し、自分なりのセラピーを見いだしつつ 成長させていただきましたことに 感謝しています。

私の場合、心理学を通り越して スピリチュアリズムに向かいましたが、「ワイス博士の前世療法」でも 証明されていますように、心理学とスピリチュアリズムは 重なる部分が多々あります。

今、多くの若い人達や そのご家族が、「ひきこもり」に苦しんでいらっしゃいますことは、人ごととは思えず 胸が痛みます。

何とか、一人でも多くの、これから社会を担い、幸せな人生を生きていくべき若者達が、自分がこの世に 生を受けました意味を見つめ直し、本来あるべき姿に 成長してほしいと思いますし、少しでも そのお役に立てましたら 幸いに思います。

 

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