2012年7月12日 (木)

「HOLLY BELL」出版いたしました♫

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このたび、「HOLY BELL」というエッセイ画集を、出版いたしました。(風詠社出版、星雲社発売)http://www.amazon.co.jp/HOLY-BELL-%E6%A9%8B%E6%9C%AC-%E7%94%B1%E7%BE%8E/dp/4434168754

http://2620.blog68.fc2.com/

I published the book of paintings.

 

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1999年に出版しました 「空ヘ」は、今はもう書店にはありませんので、全てWeb上にアップしていますが、http://www.i-media-agent.com/sora/


まだリアル本が、手元に数十冊残っていますので、もしもらっていただける方がありましたら、お送りいたします。(もちろん、無料ですよ(^_-)

I published the book of paintings also in 1999.

Now, it is up to Web.  http://www.i-media-agent.com/sora/  



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2012年6月12日 (火)

京都ヒューマン大賞・母の授賞式

先週の水曜日、「京都ヒューマン大賞」の授賞式が開催され、受賞者の母の同伴として、出席しました。

My mother won the 「Kyoto human prize.」
I attended the award ceremony.



母のスピーチ場面です。

My mother did the greeting of the award.

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スピーチの中で、母は、

「医者として歩み始めてすぐに、年子の子供(私と弟)を授かったが、当時は長時間保育の場が無く、保育所を転々としたこと。」

「子供を預けなくてもすむようにとの思いで、他人の民家の軒下を借り、夜間診療を始めたこと。」

「そのため、これまで24時間保育の充実に、力を入れてきたこと。当保育室は、職員以外の病児保育も、受け容れていること。(職員の負担金は、月1万円であったが、地域の病児保育も受けていることから、安すぎるので値上げをするようにとの、保健所からの指導があったとも、話していました。)」

My mother gave a speech as follows.

「I became a doctor and was immediately blessed with two children.
However, the day nursery was scarce those days.
I changed my address frequently. 」

「I opened the clinic so that it was not necessary to deposit a child.」

「I established the nursery school for 24 hours.
This nursery school has also contracted sick-children childcare of the area. 」





その後は、「今後、少子高齢化により、医療・介護の役割は増えるはずであるのに、現場を知らない 厚生労働省などの政策に振り回され、どんどん疲弊していっている現実がある。」と 続きました。

「Japan becomes the society of low birthrate and longevity.
However, the Ministry of Health, Labour and Welfare exhausts the medical spot.
They do not know the spot. 」





母が、私たちのためにとの思いで、夜間診療を始めたということは、初めて聞き、思わず涙が出そうになりました。

I got to know that the mother opened the clinic for us for the first time.
I was likely to cry.





私が幼い頃の、心の中にある原風景は、陽が落ちて 薄暗くなった保育所の園庭のジャングルジムに上り、弟と二人で、お迎えを待っていました 自分の姿です。

私たちは、いつも 「お残り」でした。

When I was a child, we were waiting for the person to meet in the nursery school till night.

I remember it.
It is the figure in which I climbed the jungle gym and was waiting for the person to meet in twilight.





思春期の頃は、母は、私が登校する前に 仕事に就き、私が寝室に入った後の 11時半頃に帰宅していました。

当時の母の睡眠時間は、4時間ほどでした。

When I was a teenager, my mother took up work before I went to school,and she came home after I went to bed.

My mother's sleeping hours were about 4 hours at the time.





その頃の私は、自分は 母に忘れられた存在なのではないかと、勝手に思っていたものです。

Those days, I thought that my mother forgot of her daughter.





しかし、その後 私が結婚し、長男を授かりました時には、ウィークデーのほぼ毎日、仕事を終えた後、母は、赤ちゃんの入浴のために来てくれました。

その年は、雪の多い年でした。
いつも 夜中の12時前に、翌朝の仕事のために、チェーンを巻いたタクシーで帰って行きました母の姿を、今も 雪が積もると 思い出します。

However, after that, I got married and was blessed with the child.
My mother came to my house for my baby's bathing almost every day.

Much snow lay in that year.
She returned to her house by taxi which equipped the chain in the dead of night.

Even now, I will be reminded of the figure of hers, if snow lies.



次男が生まれました時にも、同様に、毎日通ってくれました。
どれほど体力的に大変であったことかと、つくづく思います。

Also when I bore the second child, my mother passed to my home every day.

I became the present and got to know the hardness of the mother of those days.



今、当時の母より うんと年上になりました私は、母ほど 懸命に生きてきたかどうかと、自分を省みます。
今もまだ、母には 守られてばかりの私ですが、これからは 精一杯 親孝行できればと願っています。

ありがとうございます。

I become older of her in those days. 

Am I doing my best for life like her?

I am still thankful to her who protects me. 






(追記)

お庭の紫陽花が、たくさんのお花を付けました。

もともと、紫陽花好きの母のために 植えましたものです。

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(追記2)

福ちゃん、お休み中。

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福ちゃんは、後ろ足のバランスが 少々小さめです。
おそらく、成長期に 骨盤骨折のため 栄養が充分行き渡らなかったのかもしれません。

それでも、一年前には麻痺していました後ろ足で、いまや 跳んだりはねたり、

最近は、なんと! 2本足で立ち上がり、当たり前のように ドアを開けます(^o^)。

保護された時、獣医さんからは、
「骨盤が折れて、ゆがんでくっついているので、おそらく麻痺は、一生治らないでしょう。」
と言われましたが、
「どんな状況でも、最初から無理・・・と 諦めたらあかん!」
という希望を持たせてくれます、福ちゃんの元気ぶりです。

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さくらちゃんは、日中は、ほとんど 日向ぼっこです。
それでも、食欲は旺盛で、大声で、「おやつ頂戴!」「ご飯頂戴!」と言いますので、福ちゃんは いつも、小さなさくらちゃんに 負けています(^^ゞ。




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2012年5月15日 (火)

母の日に想うこと

一昨日の日曜日は、母の日でした。

On Sunday of the day before yesterday, it was Mother's Day.

 

昨年結婚しました長男夫婦が、私たち夫婦と母を、食事に招待してくれました。

My eldest son invited us to the dinner.

 

息子達の住まいの近くで、お友達とよく行くというお気に入りのイタリアンレストランです。若いご夫婦二人で切り盛りしてはります小さなお店ですが、一生懸命さが伝わってきます。

It is an Italian restaurant near their apartment.

It is the small store which young husband and wife are only two persons, and are managing.

I felt sincerity of them.

 

 一皿ずつとって、皆で取り分ける食べ方も、ホテルなどではなかなかできませんし、いいものやなぁと思いました。

We placed an order for one dish at a time.

And we divided and ate it all together.

It is not made at the restaurant of a high-class hotel.

I thought that it could be homely.



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そして、小鳥好きの私のために選んでくれましたインコのブローチと、可愛らしい薔薇の鉢植え、何よりうれしいお手紙をプレゼントしてもらいました(*^_^*)

They gave me the brooch and rose of the little bird.

I was glad the card they wrote.

 

食後は、息子達のマンションで、お嫁さん手作りのアイスクリームなどをご馳走になりました。どうもありがとう♪

Then, we went to their apartment.

My son's wife treated to handmade ice cream and tea.

Thank you♪



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こちらは、先日、一泊だけ所用で帰宅しました次男が、「あげる」と渡してくれましたラミネート加工の栞です。

This is the bookmark which the second son gave.

 

 母の日というわけではなく、「精神科の実習で、患者さんの作業療法のために、一緒に作った」とのこと。次男らしいですね。どうもありがとう♪

He is during training of psychiatry.

He made together with them for patients' behavior therapy.

Thank you

 

そして、私から母へは、大きな紫陽花の花束を贈りました。母の最も好きなお花です。

最近、膝を痛めて意気消沈していますが、いつまでも元気で強い母でいてほしてものです。

I presented the bouquet of the big hydrangea to my mother.

She likes a hydrangea most.

My mother hurts her knee and it is depressed.

I hope to be the mother forever fine and strong.

 

(追記)


先日、お泊まりしてPTSDを心配しました福ちゃんですが、帰宅後はすぐに、もとどおりの甘えん坊に戻りました。

I worried about PTSD of Fuku.

However, she recovered immediately after going home.

 

 

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主人の大切なビキューナのマフラーを、勝手に身にまとって、ソファーでお昼寝中の福ちゃんです(^_-)

She wears my husband's important muffler freely, and is relaxing.

 


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2012年4月26日 (木)

母子像への思いから  The beautiful sculpture is a figure of the mother

「ホーリーベル」ブログを更新しました。

My another blog 「Holy Bell」  was updated.

http://2620.blog68.fc2.com/blog-entry-39.html



(追記1)

先週末、金沢の「滝邸」へ行きました。

昨年6月に、福ちゃんを引き取って以来、泊まりがけの外出はしないようにしていましたが、母の切望を受け、重い腰を上げました・・・。

予約を入れました時には、もう桜は散っているでしょうと思っていましたが、例年よりずいぶん遅れていましたので、ちょうど満開に出会うことができました。

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テラスからの眺めです。

目の前を流れる犀川には、白山からの雪解け水が流れ込み、豊かな水量となっています。

向こう岸には、白鷺の姿も見えました。

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爽やかな川辺の風と、舞い散る桜の花びらの中での 露天風呂です。

仕事以外には、温泉が 何よりの楽しみの母ですから、少し早い母の日の親孝行?となりましたし、引きずられるようにして行きましたが(^^ゞ、 私自身も 久々に ゆっくりごろごろ のんびりとできました。

ありがとうございます。



(追記2)

先述のように、小旅行へ行きましたので、福ちゃんを 預けなければなりませんでした。

ケージに入れて車に乗せるのは、保健所へ連れられていった記憶が蘇ってしまうのではと思い、歩いて連れて行けるところを探しました。

ちょうど、毎日帰宅途中に通る道沿いに、新しい獣医さんが開業されていましたので、尋ねてみましたら、快く引き受けてくれはりました。

ところが、預けに行きましたら、怯えて震えてしまい、後ろ髪引かれる思いで立ち去りました。

そして、お迎えに行きましたら・・・・・2泊しました間、ほとんど何も食べず、夜 誰もいなくなった時に わずかに食事に口をつけた形跡があっただけなのだそうです。

それでも、健康診断は、全て正常値で、お散歩にも連れて行っていただいたようです。

ただ、お迎えに行って、「飛びついて喜んでくれる姿」 をイメージしていました私は、奥から 泣きべそ顔で、抜き足差し足~で 出てきました福ちゃんを見て、やはり もう当分は、お泊まりはできないと、決意したのです・・・・・。

こちらは、帰宅し、緊張から解き放たれて お休み中の福ちゃんです。↓

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ちなみに、さくらちゃんは、産まれたお里、つまり実家で、兄弟姉妹や親戚が 今もたくさんいますお家に預かっていただきますので、喜んで出かけてくれます。

                  

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2012年4月 8日 (日)

加茂川会の桜パーティー そして Tさんの洗礼式 The cherry tree party and The Baptism

親戚のTさんがメンバーの加茂川会http://www.geocities.jp/kamogawakai1984/index.html では、毎年この時期に、桜パーティーを開催されます。

The cherry tree party of the Kamogawa-kai was held. http://www.geocities.jp/kamogawakai1984/index.html




京都への留学生等をお招きし、メンバー手作りのお料理や企画で、おもてなしをしはります。

設立から28年間の間には、皆でお金を出し合って、留学生のために結婚式を挙げるなど、親身になって、様々な 愛ある活動を続けていはります。

This organization has supported in 28 years after establishment for the foreign student to Kyoto.

They also have things in the help which shares money and holds a marriage ceremony for a foreign student.




今年の会場は、メンバーの一人、Oさんのお宅です。

日本建築の広大なお屋敷で、お庭には大きな枝垂れ桜がありますし、塀の向こうは鴨川の桜並木という素晴らしいロケーションです。

This time, it was held in the member's house.

Her house is big Japanese architecture and a weeping cherry tree is in the yard.
Moreover, the outside of the wall is a row of cherry trees.

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残念ながら、今年はいつまでも寒く、例年でしたらこの時期には満開か すでに散り加減の桜となりそうですが、未だ5~6分咲きといったところでした。

Regrettably, since it is very cold, the flower of the cherry tree is not fully out of bloom this year.




昨日は、この会に、お手伝いとして参加させていただきました。

キッチンでの準備風景です↓

I did help of this party yesterday.
The scene of preparation ↓

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私の帯は、毎年この時期に出番の、円山公園の枝垂れ桜と篝火を描いたものです。

I wore the belt of the pattern of a weeping cherry tree.

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約80名もの留学生の方々が、集まってくださいました。

There were about 80 participants.




まずは、昨年の大災害に対する、世界からのご支援への感謝の辞から始まりました。

We stated the gratitude to the support from each country for the catastrophic disaster last year to the beginning.




続けて、尺八の村田萌山氏の演奏と講義。

村田氏は、30年程前の23才の頃、人間不信に陥り、尺八とリュックひとつを持ち 北海道を放浪されたものの、北海道の人々の善意に触れ、人間を再び信じることができるようになり今日がある とのお話しもありました。

Mr. Houzan  Murata performed a performance and public performance of the shakuhachi.

When he was young, he was human distrust.
And it wandered about Hokkaido and regained its footing by the goodwill of people of the ground.

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メンバーによります英語漫談、英語落語や、参加者によります母国の歌の披露などもあり(オーストラリア、スウェーデン、イラン、中国、モンゴル、インドネシア、アメリカのかたと続きました)、盛況でした。

Members performed an English chat.

And the participant sang the song of the mother country.
The turn Australia, Sweden, Iran, China, Mongolian, Indonesia, and United States
.

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お茶席も設けられました。

We also performed the tea ceremony.

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メンバー手作りのご馳走、そしてケーキバーも、楽しんでいただけましたようです。

Many handmade cooking and cakes were served.

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政治的には対立している国々もありますが、ここではどなたも、善意で繋がっているように感じられ、温かい、充実した時間を過ごすことができました。

Although there was also a politically opposing country, everybody was friendly there.




ありがとうございます。

その後、復活前夜祭のミサに間に合うよう、三条河原町教会 へと急ぎました。

「心のともしび運動本部」のマクドナル神父のもとで、要理の勉強を続けていはりました、医大生のTさんが、このミサで洗礼を受けはりましたからです。

Then, I carried out on the Easter previous night occasion.

It is because the baptism of the miss.T was performed.




私も、マクドナル神父から要理を教わりましたので、少し先輩という訳です。http://yumih8.cocolog-nifty.com/1000winds/2010/11/post-9b43.html

She is a medical college student and received education in the father McDonnell   of the 「good shepherd movement.」




Tさんの洗礼名は、ミカエル。

Tさんは、女性ですが、勇者・大天使ミカエルからのお名前は、いかにもハンサムウーマンの彼女らしいと納得しました。

Before her baptismal name, he is Michael.
It is an archangel's name and it is suitable for her.




その後、Tさんを囲み、彼女の代母であります、ドミニコ修道会のシスターとその同僚の方々とのお茶会となりました。

Then, the tea meeting with sisters was held.
One person of them is miss.T's godmother.

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気がつけば、帰宅は深夜となり、長い一日でしたが、愛に溢れた良き日となりました。

My going home became midnight.
Although it was one long day, it was a good day which is full of goodwill.

ありがとうございます。

Thanks  be  to  God..

(追記)

久々に、さくらちゃんをトリミングへ連れて行きました。
ずいぶん若返って見えます。やはり女性のヘアースタイル?は、大切ですね(^_^)。

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福ちゃんは、わが家へ来まして9ヶ月半になります。

体は、もうすっかり健康で(右後ろ足先の麻痺以外)、腕力の強さや瞬発力は、昔いましたドーベルマンのマリーを思い出させます。

時には、無邪気に甘えたり遊んだりもしてくれるようになりました。

ただ、まだ食事の時は、びくびくきょろきょろと落ち着きませんし、物音にも過敏です。

気長に、家族になっていきましょう。

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2012年3月19日 (月)

お彼岸茶会  The tea ceremony party for repose of souls

東北関東大震災・津波・原発事故から、一年を経ましても、何ら収束の見通しも、復興の見通しもたたず、それどころか、利権のために、国民を積極的に危険にさらし続けている、この国の姿です。

One year has passed since the northeast Great Kanto Earthquake, tsunami, and a nuclear power plant disaster.
However, nothing is solved.
The Japanese government, not to mention it, is promoting not revival but people's contamination.



日々の政府の対応に、絶望感すら感じることの多い毎日ですが、日本を愛する気持ちには、変わりがありません。

I have despaired of the Japanese government.
However, the feeling that I love Japan does not change.



友人や親戚の発案で、ささやかな お彼岸茶会を、父の茶室 ゛閑清庵゛にてひらきました。

I was recommended to friends and opened the tea ceremony party for repose of souls.
The place is my father's tearoom.   It is "kanseian"



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床の間の掛け軸は、四国八十八カ所霊場巡礼印を、表装したものです。

これは、次男が以前、大学の春休みに、巡礼ツァーに参加しました時のものです。

This hanging scroll is a thing when my son does the 88 Shikoku holy place pilgrimage.



私のルーツは、四国・愛媛県ですし、曾祖父は、第五十一番札所・石手寺の住職を務めてもいましたので、お遍路さんへの憧憬は、家族のDNAに刻み込まれているような気がします。

My root is Shikoku.
My ancestor was a chief priest of one temple of the Shikoku holy place.



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風呂先屏風は、日本画家・伊藤はるみさんの ゛日月草花゛と題されたもの。

This folding screen drew the sun, the moon, and a flower.


以前は、右側の゛日゛の部分が好きで、左側の゛月゛の部分の、黒い花などは、さほど好きではありませんでしたが、久々に出してみますと、「光があるから影もあり、影があるから光がある」という どなたかの言葉を思い出しました。

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友人が持ってきてくれはりました、このお茶碗は、100年ほど前の ゛相馬焼き゛です。

My friend brought this teacup.
This is the pottery of Soma of 100 years ago.



相馬焼きの生産地でありました地域は、このたびの原発事故により、窯元関係のかたがたも、避難を余技なくされ、地域への立ち入りもできない状態となっているそうです。

悲しい限りです。

The place of production of this pottery is located in Fukushima.
By this nuclear power plant disaster, it became a refuge zone.
They cannot make ゛Soma-yaki゛ any longer.

I am very sad.



そうした人々への思いもはせてのお茶会です。

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このお茶碗は、月の満ち欠けを描いた、利峰先生の作品です。




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春霞のような色合いに、春の希望を表現しました 小嶋克山先生の、信楽焼のお茶碗です。




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母が、春爛漫の お干菓子を用意してくれました。




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棗は、枝垂れ桜の漆塗り。

This Japanese lacquer drew the weeping cherry tree.





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桜色の着物に、桜の刺繍帯の、お嫁さんです。

My daughter in low wore the belt of the embroidery of flowers of  cherry tree.




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息子の大学院の留学生たちも、来てくれはりました。

My son's classmate of the graduate school also participated.




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そして、、私の着物は 荘子の ゛胡蝶の夢゛より、蝶々、帯は胡蝶蘭を選びました。

I wore the kimono of the pattern of a butterfly, and the belt of the pattern of phalaenopsis. (In Japanese, it is called
the orchid  of  butterfly. )

゛The Dream of a Butterfly" of Chinese thinker,Soshi. 




最近、気分が滅入りそうなニュースばかりが聞こえてきますが、友人達のおかげで、良きひとときを持つことができ、また 希望を捨てずに過ごしていこうと、気持ちを切り替えることができました。

ありがとうございます。

I had despaired of Japan recently.
However, I was encouraged by friends.

Thank you.





(追記)



映画 「アメイジング・グレイス」を観ました。

I saw the movie "Amazing Grace."




18世紀末のイギリスで、奴隷貿易 廃止に半生を捧げた ウィリアム・ウィルバーフォースの実際の人生を描いたものです。

This movie drew the life of William Wilberforce.
He will be a politician in the 18th century and performed slave ship abolition movement.



タイトルは、同時期同国に生きた、元・奴隷船船長、のちに牧師となりました ジョン・ニュートンの作詞によります有名な曲からとられています。

The title of a movie is the famous song for which John Newton wrote the lyrics.
He was a captain of the slave ship.
However, he reformed himself and became a pastor.



ウィルバーフォースは、何年にもわたる活動が、なかなか実を結ばず、精神を病みそうにさえなります。

Wilberforce performed slave ship abolition movement also during what year.
However, he did not realize easily but got insomnia.



ようやく、議会での採決に漕ぎ着けましたものの、買収されました
゛人権派゛議員が、

「奴隷船は、確かに我が国にとっても良いことではないが、急な廃止は、経済的混乱を招くので、゛徐々に゛減らしてゆくべきだ。」

The bribed lawmaker said at the time of a parliamentary vote.
"A slave ship is not good.
However, economy will get confused, if it is abandoned suddenly and carried out.
Therefore, it must stop gradually. "



と、発言する場面、あれ?どこかで聞いたセリフです。

It is the same as the words of a nuclear power plant group of promoters of Japan.



また、奴隷船廃止運動と、反政府運動を、あえて同一視するイメージ戦略や、濡れ衣を着せようとする国の思惑など、まさに、今の日本の原発問題と そっくり重なって見えてしまいました。

古今東西、人間のすることは、、、、、、 

しかし、最終的には、ウィルバーフォースは、信念を貫き、奴隷船廃止を実現させます。

However, eventually Wilberforce won.
And the slave ship was abolished.



現在の日本に、ウィルバーフォースは、存在しているでしょうか、、、、、、

Does William Wilberforce exist in present-day Japan?

 


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2012年3月 2日 (金)

お雛さまの涙   The tears of dolls

3月に入り、急に空気が変化したように 感じられます。

I feel that air changed in March.



夕方、玄関の扉を開けて外へ出ると、懐かしい 芽吹きの香りと、夕暮れの薄明かりと、そして 昨今の色々な想いとで、ふと 涙が出そうになります。

I shed tears.
For the scent of a sprout, dim-light in the evening, and latest various occurrences.




明日は、「桃の節句」。
実家へ、母の お雛さまを見に行きました。

It will be 「Festival of Peach (traditional event of Japan for girls)」 tomorrow.
I went to see my mother's dolls for the Girls' Festival.


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母の祖父が、母のために贈ったもので、このような天蓋付きのものは、現在では作られておらず、現存するものも少ないそうです。

My mother's grandfather presented these dolls for her.
That in which the doll of a style with a canopy is existing is little.

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母が幼い頃に 遊んでいました、おままごとの道具も、毎年 並べられます。

These are the toys which were being used when she is a child.

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戦前の 兵隊さんのお人形も、当時の世相を感じさせます。

This doll is a thing before World War II.

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私の両親は 学生結婚で、双方の実家から反対されていましたし、私が産まれました時には経済的に大変でしたから、本来 初節句に用意されます 私のためのお雛さまは、用意されず、その後も タイミングを逸したままになっていました。

My parents got married among students.
They were poor and were not able to get an understanding from their parents.
Therefore, nobody prepared the dolls for the Girls' Festival for me.



母は、そのことを 未だに、とても気にしてくれています。
そして、私には 女の子が産まれませんでしたので、わが家には お雛さまは、無いままです。
My mother and its thing are repented.
Moreover, since I did not bear a daughter, There are no dolls for the Girls' Festivalit in my home..




その代わり、こうして 母のお雛さまを見に行きます。
このお雛さまを見る度に、幼い頃の母のこと、会ったことの無い曾祖父母や祖母のこと、当時の時代などに 思いをはせます。

I am satisfied with my mother's dolls for the Girls' Festival.
I consider the time when my mother was a child, and great-grandparents' thing, seeing these dolls.



67年前の、松山大空襲も くぐり抜けてきました お雛さまです。

These dolls have overcome the massive air raid 67 years ago.



戦後の高度成長期、バブルの崩壊、様々なことを見てきたことでしょう。
そして、昨年の 地震、津波、原発事故。
これからの日本は、どうなるのでしょうか。

They have seen the postwar high-growth era, collapse of a bubble, and various things.
And last year   An earthquake, tsunami, nuclear power plant disaster.
What happens to future Japan?



「桃の節句」は、女の子が 健やかに育つことを願う行事です。
けれども、今の日本は、とうてい 子供を大切にする国とは思えません。

「Festival of Peach」is a traditional event which wishes a girl grows up healthily.
However, present Japan is a country which does not value a child.



3,11以前、「世界一、安全で、平和で、良き国」と信じていました 私の 日本に対する気持ちは、今は180度、変わりました。

I believed that Japan was safe and a peaceful nice country before 3. 11.
However, my idea changed 180 degrees.



日本は、子供を大切にしない国です。
少なくとも、近代の日本は。

Modern Japan is a country which does not value a child.



最近知りましたが、日本には、学生に対する 返済不要の公的奨学金はありません。
利息を付けて、何十年もかけて、返済しなければなりません。

世界中で、他に このような国があるでしょうか。

Japan does not have a scholarship of payment needlessness for a student.
They are with interest for dozens of years, and have to repay money.
Is such a country all over the world?



思えば、太平洋戦争の 神風特攻隊も、わずか15,16才の子供達を、まるで 鉄砲の弾のように 使い捨てにしたのです。

The 「Kamikaze suicide squad」 in World War II made the teenager's boys throwing away like the cartridge of a gun.



そして現在、福島では、真っ先に 避難させなければならない 子供や妊婦が、「風評被害(本当は、実害)を助長する」という理屈のために、とどめ置かれています。

しがらみを裁ち切り、子供を連れて避難する人達は、裏切り者扱いなのだそうです。

And in present Fukushima, the children and pregnant women who have to make refuge take limit, and are placed.
The reason is 「in order to appeal as Fukushima being safe.」
Bondage has been cut and let people who take refuge be a betrayer.




本来、子供達の疎開のために使われるべき 莫大なお金は、効果の無い除洗費用や、汚染拡大のための地方自治体への瓦礫受け容れ補助金などに 使われます。

The immense money which should be essentially used for children's evacuation is used on the rubble processing for ineffective radioactivity removal work and pollution expansion.



女の子の幸せな未来を願い、お雛さまに祈りをこめた 日本人は、どうなってしまったのでしょう・・・。

Where did the Japanese who prayed for the girl's happy future and celebrated the Girl's Festival disappear?



今年は、お雛さまと一緒に 泣きました。

Dolls for the Girls' Festival are crying.

 

(追記)

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最近の福ちゃんです。

この頃は、私たちが 夕食をいただいている間は、ダイニングとキッチンの間の出入り口に、このように じっとお座りをしまして、おとなしくしています。

ところが、私たちが、食事を終えたと確認するやいなや、「おやつ~♪おやつ~♪」と、大騒ぎです。

お行儀が悪いとは思いますが、この子の 過去の苦労を思うと、ついつい大目に見てしまいます。

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こちらは、最近のさくらちゃんです。

14才になり、もう以前のように、走らなくなりました。

このように、オイルヒーターの側が お気に入りです。

食欲は おおいにありますが、人間でいいましたら、認知症的な症状も出ています。

それでも、本人が たいていご機嫌で、幸せそうにしていますので、それが何よりと思って、見守っています。

 

 

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2012年2月 3日 (金)

2012年 節分

今日は、節分を祝う行事が、各地で行われています。

It is ゛Setsubun゛the eve of the beginning of spring (New Year by the lunar calendar of Japan) today.
The congratulatory ceremony was held in various places.

私は、この数年は 毎年 六波羅蜜寺で、芸妓さん舞妓さんがたの綺麗どころとご一緒に、「福かっこめ~」「福かっこめ~」という、このお寺特有の 縁起の良いかけ声とともに行われます、「節分追儺式厳修」に参加しますのが、恒例となっていました。http://media.yucasee.jp/posts/index/2584

I enjoyed the ceremony in the temple every year.


けれども、今年は 昨年からの色々なことを引きずり、何となく そうした気分にはなれず、静かに何事もせずに、節分を過ごしました。

However, I passed this day calmly this year.

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写真は、昔 息子が海外から購入しました マリア像です。「ファティマの奇跡」のマリア様でしょうか。

The son bought this Mary image from overseas.

うちにはいつも、白百合を飾っていますが、今の時期には、日本水仙がありますのが、嬉しいものです。

I have always decorated the house with the white lily.
Moreover, since a Japanese narcissus blooms at this season, I am glad.

水仙の、何ともいえず優しく上品な、馥郁とした香りが漂ってきますと、ストレスが一瞬に溶けて希釈されてゆくような気分になります。

The scent of a narcissus is noble, gentle and beautiful.
I will think that stress melts and disappears, if this scent is smelled.

節分での一区切り、皆さまのこれからの日々が、どうか平安でありますよう、お祈り申し上げます。

I wish. Your new year which starts today of the eve of the beginning of spring is fortunate.





(追記)

わが家の愛娘・その1の、さくらちゃんは、今月14才のお誕生日を迎えます。

My lovely daughter Sakura celebrates the 14th birthday this month.

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人間の年齢ですと、もう100才くらいでしょうか。

When she converts into human beings' age, she is 100 years old.

2年前に、両目白内障となり、その時には、食事もとらずに鬱状態となり、このまま天国へいってしまうのではと、心配をしましたが、思い切って 獣医さんに手術をしていただきましたら、瞬く間に元気を取り戻しました。

今も、食欲は、じつに旺盛です。

けれども さすがに、日中も、この写真のように うつらうつら眠っている時間が増え、起きている時にも、いわゆる「徘徊行動」のように、同じ場所を ぐるぐると歩き続けていたりします。

耳も遠いようで、以前は あんなに戦っていました(^^;)掃除機をかけましても、何の反応もしません。

She is healthy and voracious.
However, she is sleeping almost all time.
And she wanders, when having occurred.

それでも、なんだか表情は柔らかで、徘徊中も、フンフンと鼻歌を歌うように鼻を鳴らしたりしまして、いつも幸せそうです。

While wandering, she hums a tune and is the expression which seems to be fortunate.

もともと、とても神経質で勝ち気な子で、以前に 他のわんちゃんを預かった時には、赤ちゃん返りして、大変でしたが、昨年わが家にやってきました福ちゃんのことも、さして気にする様子もありません。

Originally, she was very nervous and exclusive.
She developed neurosis, when I looked after other dogs before.
However, she does not pay attention now.

神様は、さくらちゃんを、気分の良きように導いてくださったのかな・・・とも、思ったりしています。

I think that this is consideration of God.

Photo_3
一方の 愛娘・その2の福ちゃんは、わが家に来まして、6ヶ月半になります。

Fuku comes to my home and are six months and a half.

当時は、骨と皮だけの状態で、後ろ足を引きずり、まったく声が出ず、皮膚も毛並みも ぼろぼろで、おばあさんなのかと思っていましたが、今では すっかり元気満々です♫

She became thin those days and had declined.
Her hind legs were paralyzed and it was dragging them.
She was expressionless and voice did not come out of her.

However, energy is full of her now.

足の麻痺も、ほぼ回復し、狭い家の中を 全力疾走して急旋回したり、すさまじい勢いで、階段を上り下りしましたり、その運動神経と、力の強さには、驚きます。

Her leg was recovered.
She is cheerful, and is forcible and her athletic ability is excellent.

以前 飼っていましたドーベルマンが、ちょうどこんな感じでしたから、きっとドーベルマンの血が入っているのでしょうと、家族と話しています。

Her strength resembles the Doberman pinscher which I kept a long time ago.
Probably, she is the blood of a Doberman pinscher.

年齢もまだ、ずいぶん若いようで、最近は、おもちゃで遊ぶのが大好きです。

先輩のさくらちゃんに、おやつを食べられましても、一切怒ることも抵抗することも無く、たいへん性格の良い子で、2匹の様子を見ていますと、なかなか良いコンビ、見飽きることがありません。

いつまでも、仲良く 元気でいてほしいものです(^_^)

It seems that she is young.
She is quiet and Sakura and her relations are good.
I wish their long life and happiness.


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2012年1月13日 (金)

2012年 新春のご挨拶♪

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2012年、新春のご挨拶を申し上げます♪

2012、 New year's greetings♪


年が明け、あっという間に半月近く経ちました。 
前項に書きましたように、昨年は、大きなターニングポイントとなりました年でした。http://yumih8.cocolog-nifty.com/1000winds/2011/12/post-7ec0.html

A new year passes for two more weeks.
The big turning point for me came last year.
It wrote to my last blog. http://yumih8.cocolog-nifty.com/1000winds/2011/12/post-7ec0.html


泣くことも、幸せなことも、たくさんありました年でした。

I experienced much happiness and a sad thing last year.


それでも、あまりにも大きな出来事がありましたので、時に、世の中は何故こうも罪なき人が苦しむことがあるのか、祈りは届かないものなのか・・・と、くじけそうな気持ちになることもありました。

I looked at many sad occurrences and it was thought that a world was unreasonable.
I thought that my prayer did not pass and became that it is likely to be discouraged.


そうした時、あるサイキックのかたから(一度もお目にかかったことはありませんが)、
「聖なる人々は、祈っているあなたの姿をよくご覧になっていらっしゃいます。」とのメッセージをいただきました。

However, I got the message from the person with preternatural power who has not met.
「Saints are always catching a sight for which you pray.」


また別のかたからも(やはりお目にかかったことはありません)、
「未来は沢山分岐しています。だから未来は変えられます。超能力者が未来の予測をはずすことがあるのは沢山ある未来のうちの一つを見ているからです。未来を自由に変えることができるところに自由意志が大切にされていることがわかるでしょう。仮にルシファーの1000年王国が誕生したとしても、父に祈ればその時は縮められます。ナザレのイエスが、父に祈ればその日その時は縮められるだろうと言ったのはそのためでしょう。」
とのお話しをうかがいました。

Moreover, I am another.   The message was got also from those who have not met.
「Future has branched.
Therefore, the future is changed.
It is because it is looking at one of future  who has much that a person with preternatural power may remove prediction of the future.
The future is freely changeable.
When Jesus  of Nazareth prayed to the father, it said that the time of a lucifer was contracted. 」


「祈り」というキーワードが、この年末年始に、たくさん感じられました。

I receive these days many keywords 「a prayer.」


そして、運命鑑定士として開業していはります高校時代の先生(よく通っています書店のお隣で、通りがかりに出会いました)から、
「あなたは、羨ましいくらい運が強い。自信を持って。」と、言っていただきました。

I was said by the fortune-teller.
「Your fate is very good.
You should have confidence.  」


それらの言葉を、これからの人生の励みにしてゆきます。
くじけずに、大切な人々のために、祈り続けます。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

I make those language encouragement.
And I am going to continue praying for important people from now on.
I would appreciate your favor.

Dscn1143_002

                    ↑元日の初詣に、お嫁さんと。

 


(追記)

Photo_3

今日は、裏千家のお初釜でした。

I attended the new year event of the tea ceremony today.


時にこうした「ハレ」の場に出ることは、魂の浄化のために、良いことかもしれません。
しばし、日常の雑多なことから解放され、穏やかで幸せな心地を味わえます。

今年は、「辰年」ですので、龍にちなんだお道具が、多く使われていました。

最初の、お薄席の掛け物は、大宗匠のお筆の
「四海波平龍穏」
というもの。今年は、そのような年であってほしいと祈ります。

本席でのお茶杓は、
大宗匠お作の「昇竜」、お家元お作の「龍吐明珠」。

そして、最後のお薄席の掛け物は、淡々齋のもの。暗記しましたつもりで、すっぽり忘れていますが(^_^;)、

「吉祥を顕すものは色々あるが、この龍は縁起が良い」(うろ覚えです(-_-))との内容で、業躾先生が、

「この年が終わる時に、皆さんが、あぁこの年は良い年やったなぁ、初釜での、この縁起の良い言葉の通りになったなぁ、と、きっと思えますようにと念じております。」と、おっしゃってくださいました。 ここでも「祈り」のキーワードをいただきました。

ありがとうございます。


(追記2)

Photo_5

わが家の玄関に飾ってあります、九谷焼の大皿です。

This is the picture-painted plate with which the door of my house is decorated.


順風満帆で走る北前船が描かれました縁起物です。
舳先を少し上に上げて飾るとなお縁起が良いそうです。

皆様のこれからが、この船のように、順風満帆でありますように、お祈りいたします。

This ship has exceedingly smooth sailing.
I pray for you, your life has smooth sailing  like this ship


 


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2011年12月31日 (土)

2011年  大晦日

長かった2011年も、今日で終わりです。

Today is New Year's Eve in 2011.


あまりにも多くのことがありましたので、年初の頃のことは、もう何年も遠い昔のことのように感じられます。

There were too much many occurrences this year.
Therefore, I already feel the first elasticity of this year like a far old thing.


何より、3,11以降、私の人生観は、大きく変わりました。

My view of life changed a lot after 3、11.

繰り返し書いてきましたが、3,11以前、私は、日本は神の国であると信じ、安全で、豊かで、文化的なこの国を愛し、ここで子供を育て、孫を抱き、花鳥風月を愛でながら、年をとっていくのだろうと考えていました。

I believed that Japan was Heaven before 3 and 11.
I loved this safe, rich, and cultural country.
I brought up the child, have embraced the grandchild, loved the beauties of nature and regarded them as growing older here.


ところが、3,11の大震災と津波、原発事故への、国やマスコミ、東電の対応を見るに付け、この国は神の国などではない、巨悪にコントロールされた国だと思わざるを得なくなりました。

However, I looked at the great earthquake of 3 and 11, and correspondence of the country and mass media to tsunami and a nuclear power plant disaster, and an electric power company, and this country got to know that it was not Heaven etc.
I understood this country controlled by great evil.


情報は隠蔽され、いまだに被曝させられ続ける子供達、どんなに声をあげようとしても黙殺するマスコミ、それどころか、被曝を拡散させる方策にばかり熱心な政府や行政・・・・・悪魔の所業と考えなければ、理解ができません。

Information is concealed and children are still continuing being contaminated.
Mass media ignores people who raise voice.
The government, not to mention it, is eager for the policy which diffuses contamination.... If I do not consider these to be devilish demeanor, I cannot do an understanding.


それでも ここへきまして、海外メディアなどからの批判報道も相次ぎ、国内のマスコミも、わずかに論調が、変わってきたように思えます。

http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-3124.html

http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-8318

事故後、真っ先に、子供達の避難を求めて声を上げ、芸能界から抹消されかかっていました山本太朗氏が、「視聴率が取れる」ということで、この年末は、各テレビ局の討論番組に出演していはります。

信念を持って行動すれば、いつかは認められると、少し救われる気持ちになります。

京都府知事や市長へ提出しました陳情書につきましては、それぞれ担当者からの、ご丁寧なお返事をいただきました。http://yumih8.cocolog-nifty.com/1000winds/2011/10/post-9cdb.html   

が、結局は、「国の方針に従う」との内容でした。

瓦礫受け入れに関する国のアンケートに対し、6割が「拒否」でありましたが、京都府、京都市ともに、「回答辞退」とのことです。卑怯ではないでしょうか。http://www.radiationdefense.jp/wp-content/uploads/2011/12/c1a973770ad3a28000054a899b4091a51.pdf

「お金がかかるから」と、汚染地域の子供達の避難を認めない政府や福島県といい、この人達は、この国、この地域の未来、子供や若者たちがこれから生きてゆかなければならない未来よりも、目先の経済が、とりあえず回ってゆく事の方が重要なのでしょうか・・・。

そんな風に思えて、悲しくなります。

3,11以前に信じていました人やものには、絶望することが多々あり、逆に、それまでは「別世界の人」と遠目に見ていました人々が、実は真実を語る人であったと気づき、交友関係も変わりました。

私事のささいな事でいいましたら、以前は毎日、着物でお出かけしていましたが、何だかとても虚しくなり、今は、茶道のお稽古や よそゆきの外出時以外は、毎日同じセーターのままでも平気になってしまいました・・・。

テレビ、特にバラエティーのようなものは、一切見なくなりました。
ブランドもののバッグや宝石への興味も、皆無となりました。

ある意味、これからの人生の中で、本当に必要な人やものと、そうでないものとが はっきりとした、まさにターニングポイントとなった年でした。

A person really required for me, a thing, and a thing without that right in future life   It was the year which was carried out clearly and which just became a turning point.

それは、良い意味でもありました。

There was also a turning point in a good meaning.

この年頭には、思ってもみませんでした、息子の結婚という、素敵なターニングポイントにも恵まれました。

My son's marriage is fortunate news.

大晦日の今日は、そのお嫁さんが、お祖母さまや叔母さまと、毎年一緒に、おせち料理を作らはりますとのことで、お邪魔させてもらいました。

My son's wife made New Year's dishes with her grandmothers today.
I carried out to inspection.

食材が心配な私としましては、事前に、お嫁さんと一緒に 錦市場へ買い出しに行き、なるべく安全そうなものを選んでおきました。

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賑やかで楽しい、製作風景です。
こういう体験のありませんでした私は、大感激です。

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そして、こちらが、完成しました数軒分の、おせち料理です。

途中から、男性や子供達も、続々と集まり、最後は大賑わい!

年越し蕎麦まで、いただいて帰って来ました。

Photo_4

今年ご縁のありました、全ての人々に感謝致します。

I am thankful to all the people who related to me.

どうか、来年は、光に満ちた良き年となりますように、多くの苦しんでいる人々に、天のご加護がありますように。祈りを込めて。

May the new year is filled in light!
May the heavenly blessing be to all the people!


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