3月に入り、急に空気が変化したように 感じられます。
I feel that air changed in March.
夕方、玄関の扉を開けて外へ出ると、懐かしい 芽吹きの香りと、夕暮れの薄明かりと、そして 昨今の色々な想いとで、ふと 涙が出そうになります。
I shed tears.
For the scent of a sprout, dim-light in the evening, and latest various occurrences.
明日は、「桃の節句」。
実家へ、母の お雛さまを見に行きました。
It will be 「Festival of Peach (traditional event of Japan for girls)」 tomorrow.
I went to see my mother's dolls for the Girls' Festival.
母の祖父が、母のために贈ったもので、このような天蓋付きのものは、現在では作られておらず、現存するものも少ないそうです。
My mother's grandfather presented these dolls for her.
That in which the doll of a style with a canopy is existing is little.
母が幼い頃に 遊んでいました、おままごとの道具も、毎年 並べられます。
These are the toys which were being used when she is a child.
戦前の 兵隊さんのお人形も、当時の世相を感じさせます。
This doll is a thing before World War II.
私の両親は 学生結婚で、双方の実家から反対されていましたし、私が産まれました時には経済的に大変でしたから、本来 初節句に用意されます 私のためのお雛さまは、用意されず、その後も タイミングを逸したままになっていました。
My parents got married among students.
They were poor and were not able to get an understanding from their parents.
Therefore, nobody prepared the dolls for the Girls' Festival for me.
母は、そのことを 未だに、とても気にしてくれています。
そして、私には 女の子が産まれませんでしたので、わが家には お雛さまは、無いままです。
My mother and its thing are repented.
Moreover, since I did not bear a daughter, There are no dolls for the Girls' Festivalit in my home..
その代わり、こうして 母のお雛さまを見に行きます。
このお雛さまを見る度に、幼い頃の母のこと、会ったことの無い曾祖父母や祖母のこと、当時の時代などに 思いをはせます。
I am satisfied with my mother's dolls for the Girls' Festival.
I consider the time when my mother was a child, and great-grandparents' thing, seeing these dolls.
67年前の、松山大空襲も くぐり抜けてきました お雛さまです。
These dolls have overcome the massive air raid 67 years ago.
戦後の高度成長期、バブルの崩壊、様々なことを見てきたことでしょう。
そして、昨年の 地震、津波、原発事故。
これからの日本は、どうなるのでしょうか。
They have seen the postwar high-growth era, collapse of a bubble, and various things.
And last year An earthquake, tsunami, nuclear power plant disaster.
What happens to future Japan?
「桃の節句」は、女の子が 健やかに育つことを願う行事です。
けれども、今の日本は、とうてい 子供を大切にする国とは思えません。
「Festival of Peach」is a traditional event which wishes a girl grows up healthily.
However, present Japan is a country which does not value a child.
3,11以前、「世界一、安全で、平和で、良き国」と信じていました 私の 日本に対する気持ちは、今は180度、変わりました。
I believed that Japan was safe and a peaceful nice country before 3. 11.
However, my idea changed 180 degrees.
日本は、子供を大切にしない国です。
少なくとも、近代の日本は。
Modern Japan is a country which does not value a child.
最近知りましたが、日本には、学生に対する 返済不要の公的奨学金はありません。
利息を付けて、何十年もかけて、返済しなければなりません。
世界中で、他に このような国があるでしょうか。
Japan does not have a scholarship of payment needlessness for a student.
They are with interest for dozens of years, and have to repay money.
Is such a country all over the world?
思えば、太平洋戦争の 神風特攻隊も、わずか15,16才の子供達を、まるで 鉄砲の弾のように 使い捨てにしたのです。
The 「Kamikaze suicide squad」 in World War II made the teenager's boys throwing away like the cartridge of a gun.
そして現在、福島では、真っ先に 避難させなければならない 子供や妊婦が、「風評被害(本当は、実害)を助長する」という理屈のために、とどめ置かれています。
しがらみを裁ち切り、子供を連れて避難する人達は、裏切り者扱いなのだそうです。
And in present Fukushima, the children and pregnant women who have to make refuge take limit, and are placed.
The reason is 「in order to appeal as Fukushima being safe.」
Bondage has been cut and let people who take refuge be a betrayer.
本来、子供達の疎開のために使われるべき 莫大なお金は、効果の無い除洗費用や、汚染拡大のための地方自治体への瓦礫受け容れ補助金などに 使われます。
The immense money which should be essentially used for children's evacuation is used on the rubble processing for ineffective radioactivity removal work and pollution expansion.
女の子の幸せな未来を願い、お雛さまに祈りをこめた 日本人は、どうなってしまったのでしょう・・・。
Where did the Japanese who prayed for the girl's happy future and celebrated the Girl's Festival disappear?
今年は、お雛さまと一緒に 泣きました。
Dolls for the Girls' Festival are crying.
(追記)
最近の福ちゃんです。
この頃は、私たちが 夕食をいただいている間は、ダイニングとキッチンの間の出入り口に、このように じっとお座りをしまして、おとなしくしています。
ところが、私たちが、食事を終えたと確認するやいなや、「おやつ~♪おやつ~♪」と、大騒ぎです。
お行儀が悪いとは思いますが、この子の 過去の苦労を思うと、ついつい大目に見てしまいます。
こちらは、最近のさくらちゃんです。
14才になり、もう以前のように、走らなくなりました。
このように、オイルヒーターの側が お気に入りです。
食欲は おおいにありますが、人間でいいましたら、認知症的な症状も出ています。
それでも、本人が たいていご機嫌で、幸せそうにしていますので、それが何よりと思って、見守っています。