2012年2月 3日 (金)

2012年 節分

今日は、節分を祝う行事が、各地で行われています。

It is ゛Setsubun゛the eve of the beginning of spring (New Year by the lunar calendar of Japan) today.
The congratulatory ceremony was held in various places.

私は、この数年は 毎年 六波羅蜜寺で、芸妓さん舞妓さんがたの綺麗どころとご一緒に、「福かっこめ~」「福かっこめ~」という、このお寺特有の 縁起の良いかけ声とともに行われます、「節分追儺式厳修」に参加しますのが、恒例となっていました。http://media.yucasee.jp/posts/index/2584

I enjoyed the ceremony in the temple every year.


けれども、今年は 昨年からの色々なことを引きずり、何となく そうした気分にはなれず、静かに何事もせずに、節分を過ごしました。

However, I passed this day calmly this year.

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写真は、昔 息子が海外から購入しました マリア像です。「ファティマの奇跡」のマリア様でしょうか。

The son bought this Mary image from overseas.

うちにはいつも、白百合を飾っていますが、今の時期には、日本水仙がありますのが、嬉しいものです。

I have always decorated the house with the white lily.
Moreover, since a Japanese narcissus blooms at this season, I am glad.

水仙の、何ともいえず優しく上品な、馥郁とした香りが漂ってきますと、ストレスが一瞬に溶けて希釈されてゆくような気分になります。

The scent of a narcissus is noble, gentle and beautiful.
I will think that stress melts and disappears, if this scent is smelled.

節分での一区切り、皆さまのこれからの日々が、どうか平安でありますよう、お祈り申し上げます。

I wish. Your new year which starts today of the eve of the beginning of spring is fortunate.





(追記)

わが家の愛娘・その1の、さくらちゃんは、今月14才のお誕生日を迎えます。

My lovely daughter Sakura celebrates the 14th birthday this month.

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人間の年齢ですと、もう100才くらいでしょうか。

When she converts into human beings' age, she is 100 years old.

2年前に、両目白内障となり、その時には、食事もとらずに鬱状態となり、このまま天国へいってしまうのではと、心配をしましたが、思い切って 獣医さんに手術をしていただきましたら、瞬く間に元気を取り戻しました。

今も、食欲は、じつに旺盛です。

けれども さすがに、日中も、この写真のように うつらうつら眠っている時間が増え、起きている時にも、いわゆる「徘徊行動」のように、同じ場所を ぐるぐると歩き続けていたりします。

耳も遠いようで、以前は あんなに戦っていました(^^;)掃除機をかけましても、何の反応もしません。

She is healthy and voracious.
However, she is sleeping almost all time.
And she wanders, when having occurred.

それでも、なんだか表情は柔らかで、徘徊中も、フンフンと鼻歌を歌うように鼻を鳴らしたりしまして、いつも幸せそうです。

While wandering, she hums a tune and is the expression which seems to be fortunate.

もともと、とても神経質で勝ち気な子で、以前に 他のわんちゃんを預かった時には、赤ちゃん返りして、大変でしたが、昨年わが家にやってきました福ちゃんのことも、さして気にする様子もありません。

Originally, she was very nervous and exclusive.
She developed neurosis, when I looked after other dogs before.
However, she does not pay attention now.

神様は、さくらちゃんを、気分の良きように導いてくださったのかな・・・とも、思ったりしています。

I think that this is consideration of God.

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一方の 愛娘・その2の福ちゃんは、わが家に来まして、6ヶ月半になります。

Fuku comes to my home and are six months and a half.

当時は、骨と皮だけの状態で、後ろ足を引きずり、まったく声が出ず、皮膚も毛並みも ぼろぼろで、おばあさんなのかと思っていましたが、今では すっかり元気満々です♫

She became thin those days and had declined.
Her hind legs were paralyzed and it was dragging them.
She was expressionless and voice did not come out of her.

However, energy is full of her now.

足の麻痺も、ほぼ回復し、狭い家の中を 全力疾走して急旋回したり、すさまじい勢いで、階段を上り下りしましたり、その運動神経と、力の強さには、驚きます。

Her leg was recovered.
She is cheerful, and is forcible and her athletic ability is excellent.

以前 飼っていましたドーベルマンが、ちょうどこんな感じでしたから、きっとドーベルマンの血が入っているのでしょうと、家族と話しています。

Her strength resembles the Doberman pinscher which I kept a long time ago.
Probably, she is the blood of a Doberman pinscher.

年齢もまだ、ずいぶん若いようで、最近は、おもちゃで遊ぶのが大好きです。

先輩のさくらちゃんに、おやつを食べられましても、一切怒ることも抵抗することも無く、たいへん性格の良い子で、2匹の様子を見ていますと、なかなか良いコンビ、見飽きることがありません。

いつまでも、仲良く 元気でいてほしいものです(^_^)

It seems that she is young.
She is quiet and Sakura and her relations are good.
I wish their long life and happiness.


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2011年12月31日 (土)

2011年  大晦日

長かった2011年も、今日で終わりです。

Today is New Year's Eve in 2011.


あまりにも多くのことがありましたので、年初の頃のことは、もう何年も遠い昔のことのように感じられます。

There were too much many occurrences this year.
Therefore, I already feel the first elasticity of this year like a far old thing.


何より、3,11以降、私の人生観は、大きく変わりました。

My view of life changed a lot after 3、11.

繰り返し書いてきましたが、3,11以前、私は、日本は神の国であると信じ、安全で、豊かで、文化的なこの国を愛し、ここで子供を育て、孫を抱き、花鳥風月を愛でながら、年をとっていくのだろうと考えていました。

I believed that Japan was Heaven before 3 and 11.
I loved this safe, rich, and cultural country.
I brought up the child, have embraced the grandchild, loved the beauties of nature and regarded them as growing older here.


ところが、3,11の大震災と津波、原発事故への、国やマスコミ、東電の対応を見るに付け、この国は神の国などではない、巨悪にコントロールされた国だと思わざるを得なくなりました。

However, I looked at the great earthquake of 3 and 11, and correspondence of the country and mass media to tsunami and a nuclear power plant disaster, and an electric power company, and this country got to know that it was not Heaven etc.
I understood this country controlled by great evil.


情報は隠蔽され、いまだに被曝させられ続ける子供達、どんなに声をあげようとしても黙殺するマスコミ、それどころか、被曝を拡散させる方策にばかり熱心な政府や行政・・・・・悪魔の所業と考えなければ、理解ができません。

Information is concealed and children are still continuing being contaminated.
Mass media ignores people who raise voice.
The government, not to mention it, is eager for the policy which diffuses contamination.... If I do not consider these to be devilish demeanor, I cannot do an understanding.


それでも ここへきまして、海外メディアなどからの批判報道も相次ぎ、国内のマスコミも、わずかに論調が、変わってきたように思えます。

http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-3124.html

http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-8318

事故後、真っ先に、子供達の避難を求めて声を上げ、芸能界から抹消されかかっていました山本太朗氏が、「視聴率が取れる」ということで、この年末は、各テレビ局の討論番組に出演していはります。

信念を持って行動すれば、いつかは認められると、少し救われる気持ちになります。

京都府知事や市長へ提出しました陳情書につきましては、それぞれ担当者からの、ご丁寧なお返事をいただきました。http://yumih8.cocolog-nifty.com/1000winds/2011/10/post-9cdb.html   

が、結局は、「国の方針に従う」との内容でした。

瓦礫受け入れに関する国のアンケートに対し、6割が「拒否」でありましたが、京都府、京都市ともに、「回答辞退」とのことです。卑怯ではないでしょうか。http://www.radiationdefense.jp/wp-content/uploads/2011/12/c1a973770ad3a28000054a899b4091a51.pdf

「お金がかかるから」と、汚染地域の子供達の避難を認めない政府や福島県といい、この人達は、この国、この地域の未来、子供や若者たちがこれから生きてゆかなければならない未来よりも、目先の経済が、とりあえず回ってゆく事の方が重要なのでしょうか・・・。

そんな風に思えて、悲しくなります。

3,11以前に信じていました人やものには、絶望することが多々あり、逆に、それまでは「別世界の人」と遠目に見ていました人々が、実は真実を語る人であったと気づき、交友関係も変わりました。

私事のささいな事でいいましたら、以前は毎日、着物でお出かけしていましたが、何だかとても虚しくなり、今は、茶道のお稽古や よそゆきの外出時以外は、毎日同じセーターのままでも平気になってしまいました・・・。

テレビ、特にバラエティーのようなものは、一切見なくなりました。
ブランドもののバッグや宝石への興味も、皆無となりました。

ある意味、これからの人生の中で、本当に必要な人やものと、そうでないものとが はっきりとした、まさにターニングポイントとなった年でした。

A person really required for me, a thing, and a thing without that right in future life   It was the year which was carried out clearly and which just became a turning point.

それは、良い意味でもありました。

There was also a turning point in a good meaning.

この年頭には、思ってもみませんでした、息子の結婚という、素敵なターニングポイントにも恵まれました。

My son's marriage is fortunate news.

大晦日の今日は、そのお嫁さんが、お祖母さまや叔母さまと、毎年一緒に、おせち料理を作らはりますとのことで、お邪魔させてもらいました。

My son's wife made New Year's dishes with her grandmothers today.
I carried out to inspection.

食材が心配な私としましては、事前に、お嫁さんと一緒に 錦市場へ買い出しに行き、なるべく安全そうなものを選んでおきました。

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賑やかで楽しい、製作風景です。
こういう体験のありませんでした私は、大感激です。

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そして、こちらが、完成しました数軒分の、おせち料理です。

途中から、男性や子供達も、続々と集まり、最後は大賑わい!

年越し蕎麦まで、いただいて帰って来ました。

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今年ご縁のありました、全ての人々に感謝致します。

I am thankful to all the people who related to me.

どうか、来年は、光に満ちた良き年となりますように、多くの苦しんでいる人々に、天のご加護がありますように。祈りを込めて。

May the new year is filled in light!
May the heavenly blessing be to all the people!


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2011年11月12日 (土)

細川護煕・元首相夫人の、佳代子さんの茶話会に行きました♪

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現在、京都国立博物館において、「細川家の至宝展」が開催されています。

Now, 「the great treasure exhibition of the Hosokawa family」 is held at the Kyoto National Museum.


その関係で、細川・元首相夫人の佳代子さんの茶話会に、母と一緒に 招いて頂きました。

By the relation, I and a mother were invited to the tea party of a former prime minister wife,Kayoko Hosokawa.


以下は、佳代子さんのお話しの内容です。

The following is the contents of Kayoko's talk.


初代・細川幽斎(藤孝1534~1610)は、戦国の時代にありながら、その多くの有力大名が消えてゆく中、次々と入れ代わる時の権力者の信頼を得て、今日まで続く細川家の礎を築かれました。

Being in the time of the Warring States, the founder and the Yusai Hosokawa (Fujitaka 1534~1610) obtained reliance of 「the man of power at the time」, and had the foundation of the Hosokawa family which continues till today built.
Although feudal lords disappeared and said one after another those days.


なぜ、何代もの権力者の信頼を、得ることができたのでしょうか?・・・・その家訓は、「文武両道」「全力での情報収集」「全ての記録を残す」こととのことです。

Why could he get a man's of power reliance one after another?
The family precepts are 「both military power and culture being raised」「it being information gathering for the best」and 「leaving all record」.


幽斎は、古今和歌集の研究では唯一の継承者であり、茶の湯や能楽にも造形深く、当時、多くの大名達が、何らかの形で、弟子となっていました。

At the time, Yusai was the most excellent scholar of literary researches.
Moreover, he was an expert of the tea ceremony or a Noh play.
Those days, many Feudal lord were the pupils of his culture.

また、当時には珍しく 側室を持たず、そのお墓のお隣には、全く同じ大きさで 奥方のお墓が建てられているそうです。(つまり、その時代において、男女平等思想であった?)

嫡男の忠興のお墓も、やはり ガラシャ夫人のものと同じ大きさで、並べて建ててあるそうです。ガラシャは、逆臣の娘であり、非業の死を遂げたにも関わらずです。

He was unusual to that time and did not have a side room.
And the grave of the wife of the same size locates in a line and stands next to his grave.
That is, in the time, it was sexual equality thought.

Also next to the grave of the eldest son and Tadaoki, the grave of its wife and Gracia arranges and stands in the same size.
Although she is a daughter of Rebellion person  and died the violent death.


さらに、当時の戦では、敵のお城を攻める時には、退路を断って皆殺しにすることが多かったそうですが、幽斎は、必ず 門を一カ所開けておいたそうです。

そして、「逃げたい者は、勝手に逃げれば良い」と。

残された女子供は、全て保護し、就職の世話までしていましたとのこと。

Moreover, massacred in a war of those days in many cases when attacking an enemy's castle

However, Yusai always opened one gate.
「Those who want to escape should just escape freely.」

All of a woman and a child took care of him, and he also took care of employment.


後の 徳川家光3代将軍の乳母となり、影の治世者とまで言われました 春日局もその一人で、生涯 恩義を忘れず、江戸の情報は逐一、細川家へ届けられていたそうです。

In it, Kasgano Tsubone behind called 「the reign person of the shadow」 is.

She had power in the Iyemitsu Tokugawa 3rd generation general's nurse.

She has not forgotten the whole life and the kindness to Yusai, so sent all the information of the government to the Hosokawa family.


そして、先の家訓にありましたように「情報収集」「全ての記録を残す」に基づき、それらの日常の手紙のやりとりなども残され、当時の貴重な資料となっています。

And they kept family precepts.
「it being information gathering for the best」and 「leaving all record」.

All the letters of theirs are left behind and they serve as precious historical data.

さらに、その家訓に加えますと、「権力者に媚びなかった」ということもあるかもしれません。

Furthermore, 「he did not flatter a man of power」 other than the family precepts.

千利休が、秀吉から 切腹を命じられると、それまで取り巻いていました者達は、秀吉のご機嫌をそこねることを心配して遠ざかりましたが、最後に見送ったのは、幽斎と、古田織部の二人だけでしたそうです。

Sen no Rikyu is from a general When hara-kiri was ordered, those who were surrounding him till then went away.

Because, it was dreadful to have offended a general's feelings.

It was only twe persons, Yusai and Oribe Furuta  of that finally saw him off.


また、キリシタン大名・高山右近が、現在のフィリピンへ 追放処分となりました時にも、最後まで援助し、手紙のやりとりをしていましたのも、幽斎なのだそうです。

Moreover, the district feudal lord's Ukon Takayama was banished from the general overseas.
Because, he did not throw away Christianity advance.
Yusai helped him to the last.


ガラシャの父、明智光秀が、織田信長に謀反を起こし、討ち取られました時にも、幽斎・忠興父子は、ガラシャを差し出すことも 離縁することも拒みました。

Mitsuhide Akechi who is a father of Gracia caused rebellion and was killed.
However, the paternity of Yusai and Tadaoki are refused, divorced to her,and making her into a sinner.


何か、強い信念や信仰心に基づいての、筋の透ったものが その生き方の中にあるような気がします。

I think that they had a noble-minded faith.


ところで、護煕・元首相は、現・野田首相に 脱原発へと舵を切ることを進言したものの、聞き入れられなかったとのことですが、細川幽斎が、今の日本を見ましたら、どれほどに嘆き悲しむことでしょうか・・・・・・・

少なくとも、彼は、全力で、福島の女性や子供達を避難させるはずではないかと思います。

By the way, the former prime minister Morihiro Hosokawa advised to expression  Prime Minister Noda.   
「Convert a plan into a nuclear power reactor fadeout.」

However, his opinion was not granted.

Yusai looks at present Japan, he will feel sad very much.

At least, I think that he  will do the best  to  evacuates the women and children of Fukushima.

(追記)

Photo_3 人間でいいましたら、「90歳過ぎの老婆」(ごめんね(^_^;))ですが、いつまでも 姿も声も愛らしい さくらちゃん。

それでも最近、この お気に入りの、低反発クッションの上で寝ている時間が多くなり、やはり年をとったのかな・・・・・と、少し寂しい気持ちです。

Photo_4こちらは、わが家へ来て 間もなく5ヶ月になります 福ちゃん。

今ではすっかり、甘えん坊で、元気満々♪

ただ、ご飯の時に いまだに、びくびくと振り返りながら、落ち着きなく食べる習性が抜けず、不憫です。

Photo_5 シャワー大好きの福ちゃんは、今日も 抱っこされて(25キロ!重い!)お風呂へ行きます(^_^)。


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2011年10月29日 (土)

陳情書

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京都市長 門川大作様

 

区域外避難者(自主的避難者)を含む、

被災者受け入れ・支援に関する陳情書

  

趣旨

 

福島第一原発における原子力災害で放出された多量の放射性物質は、福島県内のみならず東北、関東圏に甚大な汚染をもたらしました。汚染の広がりは同心円状ではなく、各地で高い放射能、土壌汚染データが計測され、母乳・子どもの尿からの放射性核種の検出、甲状腺機能の異常などが続々と報告されています。しかし、具体的な避難等の対策が取られているのは、立入禁止区域(原発から20キロメートル圏内)、緊急時避難準備区域(30キロメートル圏内)、計画的避難区域(20ミリシーベルト/年を超える地域)のみで、これらの区域外で暮らす人々は、避難や移住に際し、東京電力、日本政府による支援、保障が一切なされていません。全ての人には、不必要な被ばくを避け、健康と命を守る権利があります。そのため、被ばくの影響を避けるために避難、移住、一時保養などを希望する人々を、放射能汚染の影響が少ない西日本等の各自治体等で支援していくべきだと考えます。そこで、以下の事項について陳情いたします。

 

☆東北、関東圏からの避難者、移住者、
一時保養者の受け入れ態勢を整備してください。
自治体による住宅、生活用品の提供、
交通費や避難にかかる生活費の金銭的な援助などを求めます。
また、自主避難者への
避難支援活動をしている団体に対しても、
同様に助成金等の援助の幅を拡大してください。

 

☆福島第一原発からの距離、避難した日付などで区切らず、放射能汚染から身を守るための避難、移住を希望する東北、関東圏全ての人を支援対象者としてください。特に、年間被ばく量が1mSvを超える地域から避難を希望する18歳以下の子ども、妊婦、妊娠を希望する女性を含む世帯の構成員、同5.2mSvを超える地域から避難を希望するすべての人への早急な支援を強く求めます。また、今後避難を希望する人への支援はもちろん、すでに避難している人へも、遡り支援の対象としてください。未曾有の原子力災害は3.11以降途切れることなく続き、収束の目途はついていません。事故以来被ばくの危機は続いており、避難の日付でその被害を区別することはできません。東京電力、国からの補償、賠償がなされていない今、心ある自治体、議員の皆様からの、人道的な支援をしてください。

 

☆瓦礫の拡散、受け入れ、焼却を拒否してください。現状汚染が少ない西日本を放射能から守り、避難、移住、保養の体制を確立してください。

 

理由・根拠

 

<汚染の広がりと被ばく限度について>

 

放射能汚染の広範囲への拡散については、政府発表のほか、各自治体、政党、市民団体などの詳細な調査結果から、その深刻さが明白です。これらのデータと、「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」で定められた基準≪5.2ミリシーベルト/年以上(管理資格の持つもの以外の立入禁止)、1ミリシーベルト/年以上(18再未満の児童、妊娠可能な女性の立入禁止)≫を照らし合わせると、指定された避難区域外に暮らす人々にも外部、内部被ばくの危険性があることは明らかで、避難、移住の権利、必要性があると考えることが妥当です。原発事故後に引き上げられた20msv/年以下という被ばく基準は安全値ではなく、政府により強いられている“ガマン値”です(20msvまでは我慢しなさいという意味)。国際的にも、放射能には一定の数値までなら被ばくしても安全であるという閾値(しきいち)がなく、低線量でも危険性があるという認識で合意がなされています。原発事故後に日本人が放射能に強くなったという訳もなく、あくまで従来の基準に基づいて判断されるべきです。

-参考資料- 

☆区域外避難者アンケートの抜粋※国際環境NGO FoE Japan実施

http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-fc46.html

(東京電力に向けての言葉である「賠償、補償」は、受け入れ自治体に向けての要望では「支援」にあたると考えます)。東京電力、国からの賠償がなされていない今、心ある自治体、議員の皆様からの、人道的な支援が必要です。

※以下、避難してきたかたがたのご意見です※

 

・私たち家族3人は、本年811日に長年住み慣れた郡山市を離れました。私は長年勤めた会社を退職し、家内は生まれてから30数年住み慣れた土地をあとに、息子は何がなんだかわからないまま、大好きな幼稚園のお友だちや先生と離れ離れになる選択でした。家内は現在妊娠8ヶ月になります。私たちは福島第一原子力発電所の事故がなければ、福島を離れることはありませんでした。人それぞれ、愛する人たちを守る方法にはやり方があると思います。

どうか私たち「自主避難者」と呼ばれる者が、断腸の思いで選んだやり方を、愛する人たちを守る正当な方法であることを理解してください。

 

・親としては、子どもを汚染されていない土地へ…と思ったけれど、補償もない中遠くに行くと、父親が会いに来る交通費がどうしても出せない。結局、すぐに避難させなかった自分・遠くへ避難させる財力がない自分を責めながら、関東の親戚宅へ避難しました。しかし間借り生活には限界があります。子どもが友だちと遊ぶスペースもなければ、経済的に不安があり、習い事もさせてあげられません。働くにも、低学年の息子の長期休暇を考えると条件が合う仕事がありません。でも避難する場所があるだけで幸せだと思うように努力しています。福島中通りには、いることに不安があっても避難できない人がたくさんいます。

 

・自主避難を否定することは、幼い命を摘み取っているのと同じです。逃げたいけれど、張り巡らされた安全キャンペーンに縛られ、子どもにすまないと自分を責める親の心。

逃げたけれど、補償も未来もみえず、不安な日々。

 

・多くの人が不安にかられ避難しました。また不安の中でその地に留まり暮らしている人々もおります。福島原発事故の収束はまだまだ先行きが見えず、放射能汚染はこれから長期にわたって続きます。どうか避難区域外であるなしにかかわらず、公平に避難された方の補償をお願いいたします。少しでも先行きが見え、未来に希望が持てるように、どうか十分な補償が行われますようにお願いいたします。

 

 

 

<放射性瓦礫の危険性について>

 

東日本大震災により生じた2200万トンもの瓦礫処理が、被災地の復興促進のためにも急務であることは言うまでもありません。しかし、福島県内のみならず、周辺他府県の瓦礫にも、福島第一原子力発電所の事故により拡散した放射性物質が含まれていることが明らかとなっています。

現在、環境省は「災害廃棄物の焼却処理により発生する焼却灰の放射性セシウム濃度が8,000Bq/kg以下」を通常の廃棄物と同様の処理が可能な線量基準とし、全国の焼却施設で処理を進めようとしています。また100,000Bq/kg以下の焼却灰も、遮蔽等環境中への漏出防止策を講じれば、管理型最終処分場での埋め立てが可能としています。

 

8,000100,000Bq/kgという放射線レベルは、原子炉等規制法、及び「放射能濃度についての確認等」に関する規則に定められた、「放射性物質として扱う必要のない」放射線レベル、いわゆるクリアランスレベル(Cs134137合わせて100Bq/kg)の801000倍にもあたり、従来なら低レベル放射性廃棄物として厳重に処分・保管されていたものです。焼却灰を一般廃棄物と同様に処理するのであれば、クリアランスレベルの順守が求められます。

ただし焼却灰に含まれる放射性物質の濃度をクリアランスレベル以下におさめるためには、焼却前後の濃縮率を33.3%とした場合、受け入れる瓦礫に含まれる放射性物質の濃度は約30bq/kgにとどめる必要があります。

しかし、これらの基準の対象はセシウムだけにとどまっています。私たちは、現在まで十分な測定が行われていないストロンチウムやプルトニウムなど、その他の放射性物質の拡散も懸念しています。福島第一原発から約250km離れた横浜で195bq/kgのストロンチウムが検出されたことから、周辺県の瓦礫にもストロンチウムが拡散していることが予想されます。またプルトニウムの拡散状況についても、早急な調査が必要です。

 

このような状況での瓦礫の受け入れは、その搬送から仮置き、焼却、焼却灰の処理の全過程で、周辺環境の二次汚染を引き起こす危険性が懸念されます。安全な生活環境を求めて西日本への避難・移住を希望する被災者にとっても、放射性物質を含むがれきの持ち込みにより西日本にまで汚染を拡大してしまっては、安心して暮らすことのできる場所を奪われることになります。放射性物質は一旦拡散させてしまうと、除染も、汚染状況の把握すらも大変に困難です。関西広域連合は瓦礫受け入れを表明していますが、住民はもとより、西日本へ避難、移住する被災者にとっても、安全な生活環境を守るために、災害廃棄物については受け入れをしないよう要望します。

                        以上


 

 

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2011年10月11日 (火)

3,11以降の無力感   Sense of powerlessness After 3.11

Photo_2
ローマ法王ベネディクト16世は、「環境に配慮した生活様式を選び、人類に危険を及ぼさないエネルギーの研究開発が、政治と経済の優先事項である。」との声明を、発表されました。

Pope Benedictus XVI issued statement 「research and development of the energy which chooses the lifestyle which considered environment and does not exert danger on human beings are a priority matter of politics and economy.」


また、曹洞宗・総本山の永平寺は、脱原発シンポジウムを開催されますそうです。

これは、大田鑑院導師のご尽力によるものではないかと思います。

Eiheiji of Sodo sect and a head temple holds nuclear power reactor fadeout symposium.
I think that it is the Ota Mentor's suggestion.


鑑院導師は、2005年に、60年間燃え続けていました広島原爆の火を、人類初の原子爆弾実験場であります アメリカ、ニューメキシコ州の トリニティ・サイトへ戻すための行脚をなさいました。

そこで、「人類が二度と同じ悲劇を繰り返さないように」との祈りを込めて、火を消されました。

この様子は、マット・テイラー監督により、「ランタンとつる」という題名で、ドキュメンタリー映画として記録されています。

beings of New Mexico in the United States in 2005.

He went to return the fire of the Hiroshima atomic bomb which is continuing burning for 60 years.

He prayed and extinguished fire there.
「Human beings never repeat the same tragedy.」

This situation is the title 「The  lantern and The Crane」 and was recorded by Director Matt Taylor as a documentary film.


2008年の、私のブログにも、関連記事を書いていました。

http://yumih8.cocolog-nifty.com/1000winds/2008/09/post-3fb9.html

少々驚きましたが、3年前のこの時点でも、私は 漠然と、原爆のみならず、原発にも不安を感じ、エネルギー政策の転換を訴えていたようです、、、、、、

I was writing the related article to my blog in 2008.

Also three years ago, I felt uneasy in the atomic bomb and the nuclear power plant, and had appealed against conversion of the energy policy.


それでもまさか、3年後の現在、日本が このような惨状にあるとは、夢にも思っていませんでした。

これから何十年も、この国で 子供を育て、孫を育て、この国の風景や文化を愛して生きてゆくものと思っていました。

今は、この国の政府や政治家、財界人、マスコミの人々の言動を見るにつけ、悪魔に支配されているとしか思えず、無力感に苛まれる日々です。

However, Japan by no means now [ three years after ].   I never thought that I was in such a tragic state.

What ten years, I brought up the child, brought up the grandchild in this country, and regarded scenery and culture as loving and making a living from now on.

Now, I attach for seeing the speech and conduct of the government and the politician of this country, a business leader, and people of mass media, think that it is over ruled by the evil spirit, and have despaired.


 

(追記)

先日結婚しました息子は、実家とは スープの冷めない距離に住んでいます。

お料理好きのお嫁さんが、しょっちゅう、手作りのジャムやケーキ、ジンジャーシロップなどを届けてくれはりますので、嬉しい限りです。

ただ、先述のように、食材が危ないですので、私は、地元の農家の、生産者が確認できますお野菜や、ネットで購入しました 海外産の食材を、せっせと届けています。

子供達が小さい頃から、食材には気をつけ、農薬や添加物の無いものを 選んできましたが、まさか 放射能汚染から自衛しなければならない事態となるとは、思ってもいませんでした、、、、、、、、

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毎日、安全な食材を探します。

地元・京都のトマト、茄子、キュウリ、沖縄のオクラ、阿蘇山の生産者から直接取り寄せたキャベツ、ニュージーランドのキウイと蜂蜜、ドイツの黒パン、ベルギーのオーガニック豆乳、昨年の大豆で作った島根の生味噌、フランスのチーズ、イタリアの生ハムとクラッカー・・・・・・

子供達の口に入るものには、極力注意を払いたい・・・・・・食材に、一生懸命になりすぎて、衣類やバッグなどには、一切 興味が無くなってしまいました・・・・・。



(追記2)

福ちゃんは、保健所からわが家へ来まして、4ヶ月になります。

今では、すっかり甘えん坊で、私が帰宅しますと くっつきたがります。可愛いですね(^_^)

Photo_3                  お散歩中の 福ちゃんです。

Photo_4  ソファーに座って、カメラを向けられ、少々緊張気味の福ちゃんです。

 

 

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2011年9月23日 (金)

君死にたまふことなかれ

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「君死にたまふことなかれ」で知られます歌は、明治の歌人・与謝野晶子(1878~1942)が、戦地にある弟を想い、詠んだ歌です。                   

Akiko Yosano is a poet of the past of Japan.

She worried in the Pacific World War II about the younger brother who is present in a battlefield. She composed poetry.
「My younger brother, you must not die for a country. 」



当時は、第二次世界大戦のさなか、日本国民の多くは、大本営発表を信じ、「お国のための戦争だから」と、大切な父や夫や息子達を、万歳をして 戦地へ送り出しました。

It was a crime that Japan of those days asserts anti-war.
Most people believed the Imperial-Headquarters announcement.

And almost all women are were seen out to the battlefield, important fathers or husband or sons.

They said, "For a country, I am glad and do so."



その時代に、晶子は、この歌を詠みました。

どれほど世間の風当たりが強かったことだろうかと想います。

She read this poetry and was blamed by the world those days.



今の日本も、大差はありません。

多くの 洗脳された人々と、理性 あるいは魂で おかしいと感じ、抵抗する人々があります。

I also regard present Japan as the same.
Many of people are brainwashed. 

People who feel with reason or a soul are resisting.


現代の歌人、俵万智さんが、下記の歌を詠まれました。

Machi Tawara is a poet of present-day Japan.
She composed the following poetry.


       子を連れて 西へ西へと逃げてゆく 

       愚かな母と 言うならば言え

    I am accompanied by my child and escape.
    To the west, it is to the west.
    Those to whom I am said as a foolish mother need to say freely.



いつの時代も、母は、子を守らねばならないはずです。

I believe that my mother has to protect  child by any times.


(追記)

http://www.youtube.com/watch?v=RBnjPnhrBu8&feature=youtu.be

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=256990

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2011年7月 7日 (木)

「鳥は飛ばねばならぬ」 そして その後の福ちゃん

先日、フェイスブックにメッセージが入っていました。

私の もうひとつのブログ、「ホーリーベル」で、その時トップページにありました 「鳥は飛ばねばならぬ」http://2620.blog68.fc2.com/blog-entry-34.html を読んでくださいましたかたからでした。

There was a message in my Facebook.

They were the people who had read sentences 「The bird had to fly」 of another myblog  「Holy bell」.

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「3,11以降、自分の道を これまで通り歩んでよいのかどうか迷っていたところ、このブログを読み、これは 神様からの私へのメッセージだ!と思い、とても嬉しかったのです。」という内容でした。

「I was hesitating in its life since 3. 11. However, I read this blog, and this is a message to me from the god. I was very glad to think. 」



非力な私ですが、わずかでも 一人のかたの人生の お役に立てましたのは、ありがたい限りです。

I am incompetent. however,I am glad of my sentences put to use about someone's life



私自身、3,11以降、特に 原発事故以降は、人生観や 生き方が ずいぶん変わりつつあります。

それまでは、呑気に ある程度の贅沢を楽しみ、あまり遠い先の心配をすることも無く、日々を過ごしていました。

The philosophy changed into me since since 3 and 11, especially the nuclear accident.

Till then, I carefreely enjoyed a rich living, and did not worry in the future.



ところが、あの日、一瞬にして 多くの命、人生が奪われ、さらには 未だに 原発事故により 苦しみ続けている人々のことを思い、子供達や地球の未来を思うにつけ、虚しさや 悲しさで 胸がいっぱいになります。

この先、大切な子供達のために 何をなすべきか、途方に暮れ、無力感にさいなまれています。

However, it made that day and momentarily and a lot of lives were deprived. In addition, a lot of people keep suffering from the nuclear accident.
I worry about the future of children and the earth, and I am sadness, emptiness, and the mind is full. 

I am at a loss what is necessary to be done for important children,



けれども、ただ無力なまま、何もしないでいるわけにはいきません。

「鳥は飛ばねばならぬ。人は生きねばならぬ。」です。

However, I can surely be doing anything.

「The bird should fly. The person should live. 」



日本政府やマスコミは、原発利権にフリーズしたまま、正しい情報を出しませんから、ツイッターやフェイスブック、海外メディアで 情報を集めるしかありません。

タイミング良く?、ネット規制法案が成立しました。

ネットで デマを流しますと、罰せられるのだそうですが、ここで言うところの 「デマ」とは、たいていが 「国や利権に都合の悪い、真実の情報」のように 思えます。

そして、むしろ 国や大手メディアが流し続けています 「安全デマ」は、ネットではありませんから、責任を問われないのでしょう。

Neither Japanese Government nor the mass communication give correct information for the nuclear power plant rights. Therefore, I should scratch for information with Twitter, Facebook, and overseas media.

Japanese Government passed the Internet restriction law.

When someone gives out false information on the Internet, it is punished.
Most however "Erroneous information" is "Inconvenient bona fide information for the country and rights. "

"Untrue information" that a government and major media send will become innocent.



また、「原発が嫌なら、あなたは電気を使わず生活しなさい。」という人がありますが、実際 原発により 発電されています電気は、2割程度かと思います。

2割程度の節電でしたら、ちょっとした工夫で 充分にできる範囲です。

何より、たかが2割の電気のために、これ程までの犠牲を払わなければならない必然性が、 どこにあるのでしょうか。

A certain person says, "You must not use electricity and live if the nuclear power plant is unpleasant".
Electricity to which electricity is generated with the nuclear power plant is about 20 percent of the entire amount of power generation.

If we are the power savings of 20 percent, we are possible by make an effort a few.

Above all, we are and there is no necessity that should make a huge sacrifice for the electricity of 20 percent.



福島原発の事故が、未だに収束せず、放射能汚染が進み、どんどん対策も尽き果てつつあります この期に及びましても なお、「安全は、国が責任を持つ」 「安全確認すれば再稼働可能」、さらには 「地下原発を作ろう」 などと言う人々の 思考回路は、一体 どうなっているのでしょう。

それ程までに、目先の利権に執着し、大切な子供達の未来を滅ぼして、何が 嬉しいのでしょうか。

People of the nuclear power plant promotion sect still say yet. 「Japanese Government takes the responsibility for the safety of the nuclear power plant. 」「We operate the nuclear power plant again」 and 「We should build an underground nuclear power plant」

I do not understand their ideas.

Are they glad to attach too much importance to to rights of the viewpoint so much, and to destroy the futures of children?



今回の事故は、大変 悲しく、残念です。

けれども、ある意味 この事故を境に、本当に 大切なことと そうでないこと、本当に 尊敬すべき人と そうでない人が、私の中で、はっきりとしました。

まさに、2012年の予言にあります アセンションの前兆のようにも思えます。

これからは、子供達の未来を守るため、私も 声をあげていく決意を固めています。

I am very sad in the great earthquake, the tsunami, and the nuclear accident.

However, I think that a person who a really important thing, should not so and really respect it and a person not so were clear, on the boundary of 3.11.

I think like the sign of Ascension of the prophecy in 2012.

To keep to children's futures, I made the decision to do what had to be done.



そして、福ちゃんのその後です。

岡山の保健所から、殺処分直前に救い出され、わが家へやって来まして 今日で17日になります。http://yumih8.cocolog-nifty.com/1000winds/2011/06/a-lucky-dog-cam.html

Next, it is a topic of Fuku.

She has passed 17 days today since it is helped out from the public health center immediately before being killed, and it came to my house. http://yumih8.cocolog-nifty.com/1000winds/2011/06/a-lucky-dog-cam.html

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こちらは、8日目の頃の福ちゃんです。

完全に 皮膚が あばら骨にくっついたように痩せていました最初の頃に比べ、わずかにお肉が付いてきました。

保護された当初は、全身に びっしりとダニが付いていたそうですが、この日にシャンプーをしていただき、玄関の中に入れました。

This photograph is Fuku of the eighth day.

When coming to my house, she was thin like the specimen of the bone. And, the tick had thickly adhered to the antecedent.
However, it was possible to walk into a house by shampooing it on this day.

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こちらは、一昨日、15日目の福ちゃんです。

まだ声は出ませんが、顔を上げて、まっすぐに 私達の目を見てくれるようになりました。

傷んでいました毛も 徐々に生え替わり、つやつやしてきましたし、眼に表情が出て、こんなに 美人さんになりました。

This photograph is Fuku of the 15th day.

Her voice has not been raised yet. However, she came to see our eyes straight.

Her hurting hair grew and replaced it. Her expression has lightened.

She is a beautiful woman.



右後ろ足のマヒは 獣医さんによりますと、もう治らないそうですが、他の筋肉を使い、上手に歩きます。

おトイレも、朝晩2回のお散歩時にする以外は、失敗もしません。

ずいぶん覚悟して引き受けましたが、あっけないくらいに手のかからない子です。

むしろ、家族みんなが 福ちゃんに癒されています。

先住の さくらちゃんも、一度も 福ちゃんには 吠えません。もしかして、可哀想に思っている?

まだ 制服の人や 傘を怖がりましたり、金属音にビクッとしたりしますが、たくさんの愛情を注いで いい家族になってゆきたいものです。

ありがとうございます。 

She supplements with other muscles, and she walks well though the veterinarian said that the paralysis of her hinder leg will not recover.

She remembered the rule of the excretion at once.

She doesn't allow me to burn care,  though I was determining the hard row to hoe.

All families are being healed by Fuku.

Sakura in the living also is accepting her ahead.

She fears a person in uniform, an umbrella, and a metallic sound.

We want to pour a lot of love into her, and to become good families.

Thank you.



(追記)

http://savechild.net/archives/1287.html

上記の理由により、大学院生の長男に、最近 お弁当を作っています。

金沢の大学に通っています次男のことが、とても心配で 気がかりですが、注意を伝えるしかできません・・・・・

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「免疫力アップ弁当」の つもりです・・・・・。

雑穀入り発芽玄米ご飯、たっぷりの生姜と麦芽とチーズ入り鶏つくね、宮崎のピーマンと沖縄のカボチャ、発酵食品としまして 京都のすぐきと梅干し。

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2011年5月27日 (金)

息子の結納♪   Ceremony of traditional engagement of Japan

先日、大安の日曜日に、息子の結納の儀を 執り行いました。

We did son's engagement ceremony.



早朝、京都を出発し、宝塚へ。

宝塚ホテル到着時には、強い雨が 降っていました。

Heavy rain had fallen when we arrived at the hall of the ceremony.

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息子は、振り袖を着てきます 彼女のことを、とても心配して 待っていました。

前項http://yumih8.cocolog-nifty.com/1000winds/2011/05/mothers-day-9fb.html に書きましたように、仙人と呼ばれるほど ストイックでした息子は、彼女と出会いまして 2週間で プロポース、そして、2ヶ月で この度の 結納の運びとなりました。

When I wrote in the record the day before, and my son was stoic. As if, to saint's way.
http://yumih8.cocolog-nifty.com/1000winds/2011/05/mothers-day-9fb.html

However, he met her and proposed in two weeks.
And, they were engaged in two months.



全てが 天の采配のように、タイミング良く進みます。

神様に感謝!

Their marriages are blest.
We wish to express our gratitude to the god!

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息子が 彼女に贈りました婚約指輪は、昔 私が主人から送られましたものを リフォームしましたものです。

今は亡きお姑さんが、選んでくださいました 大切な想い出の指輪です。

In the promise ring that the son presented her, in old times, I am the one gotten from my husband.

My of the deceased husband's mother put the mind and chose it.
The ring is the one that memories are very deep for me.

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式は、和やかに 滞りなく終えることができ、いつの間にか 雨はやみ、陽が射していました。

Their engagement ceremonies ended well.
The sun shone when the ceremony ended though it was raining in the morning.



表に出ますと、大きな楠の木の花が満開で、爽やかな香りが、雨でクリアーになりました辺り一面の空気を満たしていました。

When we went out outside the hall of ceremony, the air after rain was clear. And, the camphor tree flower was full-bloomed wonderful smell.



二人の未来も、きっと このように 明るい光に満ちた 祝福されたものでありますように!

I pray for their futures to be blest like a shine of this sun and a beautiful smell.



今の日本は、まさに混沌とした状況で、先が見えませんが、私達の世代は、次の世代のために 責任を持って 行動しなければならない時だと、ひしひしと 感じています。

Japan today is very chaotic.
However, I should take the responsibility for young people's futures.



私ができますことは、まずは できる限り正しい情報を得ること、世の中は変えられないと 諦めるのではなく、子供達のために声をあげること(TwitterやFacebookで発信するなど)、少しでも安全な環境を作り、安全な食材を選ぶこと、

I should obtain correct information.
And, I do not feel sorry that the world doesn't change but should send information with Twitter and Facebook.

I should offer secure surroundings for them, and obtain safe food.



そして、祈ることです。

And, I pray to the god.
We wish to express our gratitude.



ありがとうございます。

            

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2011年4月 7日 (木)

2011年  震災後の桜  Cherry blossoms after the earthquake

東北関東大震災から3週間余り、4月に入りまして一週間が過ぎました。

Today is 7th of April, and more than three weeks have passed since the Great Tohoku Earthquake,.



今年は 花冷えが厳しく、数日前から 日中の陽射しは ようやく春めいてはきましたものの、朝夕は 真冬並みの冷え込みが残ります。

The weather is unusually chilly even in Kyoto especially in morning and evening, as if we get back to the winter again.



被災者のかたがたの現状を思いますと、胸が痛みます。

Be that as it may, my heart bleeds for the situation of the afflicted people of this disaster.



桜の開花も遅れていましたが、今日は 我が家の近くの加茂川べりは、5、6分咲きといったところです。

Because of chilly weather, there is a delay for bloom and at the riverside of Kamogawa, my neighborhood, less than half of the cherry blossoms are in bloom.

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息子達は、生まれた時から毎年、この桜の風景を見て育ちました。

今年は なぜか、一人眺めながら、涙が出ました。

My two sons have grown up looking this cherry blossoms scenery every year.

This year, walking along the river looking the scenery, I can't withstand the line of tears.

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傾きかけた陽射しの中を、寄り添い歩かれる この ご年配のご夫婦の姿に、どうか この風景がいつまでも続きますように・・・・・息子達の未来も このご夫婦のように 穏やかでありますようにと、こみあげてくるものがありました。

In the shine of evening sun, the figure of an elderly couple that walked together.

I hope such beautiful sceneries last forever.

Forever and ever.

I hope that my sons future might be filled with peace and love as this couple.



1ヶ月前に、ゆかしメディアの記事にも書きましたように http://media.yucasee.jp/posts/index/6924  、私の原風景であります ゛哲学の小径゛にも、立ち寄ってみました。

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例年でしたら ラッシュアワーのような人混みですが、夕方というせいもありましてか、さほどでもなく、ゆっくりと花々を見上げながら 歩くことができました。

I also visited "Tetsugaku no Michi" , my nostalgic place, where I had lived for a few years in my infancy.

I walked slowly and look up at the flowers.



日が経つにつれ、この度の大震災の、途方もない被害の大きさを ひしひしと感じています。

As it was evening and also because of the disaster, there were not so many people.

Recently I re-realize the enormous damage and influence of this disaster.

以前、ある政治学者のかたの講演で、それは 1995年の神戸の大震災直後でしたが、

Just after the Kobe earthquake, 1995、I heard the presentation of a famous political scientist.

He said as following.



「日本人は、復興の能力に長けているのです。 かつて、大正12年(1923年)の関東大震災の時、現地入りした欧州の新聞記者が、゛震災からまだ1ヶ月も経っていないのに、すでにあちらこちらから、家を建てる高らかな槌音や、歌声が聞こえてくる。 日本人とは、なんと明るく勤勉なのだろう。 これが我が国だったら、当分の間、天を仰ぎ、神は何故このような試練を与えたもうたかと、嘆き悲しむばかりだろう゛ と、記事に書いているのです。」

と、お話ししはりましたことが、印象に残っています。

"Japanese are very patient and never surrender to the difficulties and recover from the bottom as if it is nothing.

After the Great Kanto Earthquake, a European journalists were surprised, looking people who had already begun to work to rebuild their houses.

The hammering sounds and humming song were heard here and there, though one month had not passed after the disaster.

They was surprised at the brightness and industriousness of Japanese people . If such calamities attack our countries, they would, for the duration, do nothing and just grieve saying "Why God has given such a test"



私も、これまでは そう思っていました。

This story was quite impressive for me, and I also thought so.



今回も、これほどの大きく悲しい被害であっても、震災と津波だけでしたら、きっと もっと早く立ち直り、復興に向けて 皆が協力し合い、既に前進を始めていることと思います。

But this time, things are not same.

If the troubles were just the earthquake and the tsunami, I think, people could stand up for revival more quickly.



けれども、原発事故という、どうしようも無い出来事、しかもまだ 進行中の状態ですので、明るい気持ちになれません。

But the atomic reactor accident has made things worst.

That is still in progress with no exit.

We can't see any light yet.



震災・津波は、天災です。誰も悪くはありません。(天罰とおっしゃった政治家もありますが・・・)

Earthquake and Tsunami are disasters.

We can blame for no one.



しかし、原発事故は 人災です。

But the nuclear accident was man-made.



そのために、日本は すでに、世界から同情される被害者では無く、世界、いえ、地球という惑星全体の環境を、しかも この先何年、何十年、もしかすると 何百年にもわたり、壊してしまう加害者になりつつあるのです。 

Japan is no longer a victim who deserves sympathy of the world, but a assailant who destroy the environment of the whole earth for many years.




これからを担う 若い人達や、子ども達の未来のために、私達は 一体 何をなすべきなのでしょうか・・・・・

According to the news of the foreign media, they have underestimated and forged various data so that uproars do not become big. Just for their self-protection.



無力感に ただただ泣けてきます・・・・・

Nothing for me!

In a feeling of ineffectualness, I cannot help tears.



今日は、長男の 大学院入学式でした。

Today my eldest son attended his entrance ceremony of the graduate school.



泣いてばかりはいられません。

He made a new start.

So I must take heart and show courage.



非力でも、何か できることを考えましょう。

I would try to think what I can do although I am powerless.

http://2620.blog68.fc2.com/blog-entry-34.html



(追記)

この日記をアップしました直後に、また大きな余震の報道がありました。

広い範囲で停電もしているとのこと。

仙台在住の知人も、震災以来 自らも被害を受けながら、周囲の人々のために奔走していはります。

何かお力になりたいと思うばかりで、何もできずに無力感を感じています。

せめて、早く支援物資をお送りしなければと、気がせいています。

取り急ぎ、他と重複しませんよう、紙おむつとビタミンドリンクをお送りすることにしました。


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2008年9月 8日 (月)

吉田ソースの潤喜さん

アメリカでは 大手のスーパーに たいてい置いてありますという 吉田ソースの社長、潤喜さんは 私の実家の すぐ近くのご出身です。

先日 京都へ お里帰りしてはりまして、お姉様のお店 「キッチン よしだ」 で お会いしました。

Photo 「キッチン よしだ」のお料理は もちろん ほとんど全てに 「吉田ソース」が 使われています。

お姉様が、毎日 お一人で 何種類ものお総菜を 心をこめて 作っていはります。

吉田社長の半生につきましては、このところ テレビなどでも よく放映されていますが、実際の社長は、メディアでお馴染みの パワフルで 陽気で ユーモアに満ちた お人柄以外に、とても 真摯で 慈愛の精神に満ちた面を 持っていらっしゃいます。

敬虔なクリスチャンでもあり、以前にも書きましたが、地元オレゴンの 小児病院には 毎年 多額の寄付をされていますし、広大なご自宅は いずれ 地元の子供達のための施設として 寄贈されるそうです。

日本では 民間病院への 企業からの寄付はできませんし(多分)、企業の寄付行為そのものが、欧米ほど 一般的ではありません。

国民性や 税制や 宗教的なことや 色々な理由があるのでしょうが、本来は もっと 相互扶助の精神に溢れた国だったのではないのかな ・・・・・・ と、少し淋しく思います。

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「キッチン よしだ」の お座敷に集まって来はりました 吉田社長の子分?達です。

日通のMさん、武道具店「東山堂」のKさんご一家などなど ・・・・・・。(お隣は 丁度帰省していました長男です(*^_^*)。)

面倒見が良く 情に厚い吉田社長のもとには 多くの人達が 次々に集まって来はりまして 和気藹々と 賑やかでした。

楽しい時間を ありがとうございます(^_^)。 

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