2008年5月 8日 (木)

今年のゴールデンウィーク♪

このゴールデンウィークは、一歩も家から出ず、日頃から 気になっていました アルバムの整理や 家の大掃除をしたいと思っていましたが(本来、家にこもっているのが好きなのです)、どうしても温泉に行きたい(^o^)/ と言います 母の願いに負け、加賀温泉に 行ってきました。

080506_063300011jpg_3 宿泊は ホテル百万石の別館・梅鉢亭。

直前の予約でしたので いつもの 母のお気に入りのお部屋がとれませんでした。

このお庭の 向こうに見えます建物の 1階端のお部屋が、小さなお庭と 露天風呂付きの お気に入りの場所。

今回は こちらの棟の2階のお部屋。 私は こちらで充分快適なのですが、歩くのが苦手な母にとりましては やはり 露天風呂が お部屋にあります方が ラクでしたようです。

それでも 方向音痴の私について歩いて 迷子になりながらも(^^;)、何度も大浴場へ通いました。

080506_065600011jpg こちらは 大浴場への通路です。

広大なお庭も 館内も 隅々まで お手入れが行き届き、また 廊下の脇を水が流れ お香が焚かれ 花が生けられ、ずいぶん 多くの人々の手がかけられていますことが 伝わってきます。

お食事も 多すぎず、ちょうど良い量です。

たいてい どこへ行きます時も 一泊しかできませんが、今回は 二泊しましたので、中一日 時間を気にせず ゆっくりのんびりできました。

そこで、永平寺のご縁で知り合いました 九谷焼の 北村隆先生の工房へ おじゃまをしました。

080505_112000011jpg 古民家を移築されました工房には 無造作に 所狭しと 作品が積まれています。

囲炉裏には 鉄瓶が。

この度は、家宝の 千利休のお軸と 250年程前の九谷焼・吉田屋窯の お鉢を見せていただきました。

080505_120700011jpg 080505_120800011jpg                                                 こちらが 千利休の 直筆。利休の お父様宛ての お手紙なのだそうです。

080505_115900011jpg 080505_115900021jpg 080505_120000011jpg                   

吉田屋窯は、現代の九谷焼と違い 磁器と陶器の中間のようなかんじで、フワッと軽いので 驚きました。

九谷らしい 美しい色彩。

この当時の教科書(?)に 「マングワン」(確か黄色の発色)などと書いてありまして、こちらも 驚きました。

お昼は 職人気質の 誇り高きご主人のいはります 「つづら」という割烹で いただきました。080505_150400011jpg        

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そして こちらは ヤンキースの 松井秀喜選手の 記念館です。北村隆先生とは 遠縁の ご関係とのこと。

私は 野球のチームもルールも よく知りませんが、松井選手は その発言などから 年齢のわりに ずいぶん魂レベルの高い人のように思っていましたので、その 良い゛波動゛を受けますよう 楽しく 展示物を見せていただきました。

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売店で 購入しました 松井選手の著書や 関連本です。

「不動心」という著書の中の 「失敗との付き合い方」との項の中で、松井選手は 失敗を口に出さないことを 自分のルールにしている、悔しがるよりも 前向きに話すようにしている、という旨のことを 書いてはります。

そして 「コントロールできない過去よりも、変えていける未来にかけます。」と。

いい言葉ですね(^_^)。

また、高校時代の恩師に教えられたといいます 後述の言葉、当時は あまり意味がわからなかったかもしれないけれども 年を重ねるにつれ 少しずつ理解できるようになったとも 書いてはります。

 心が変われば 行動が変わる。

 行動が変われば 習慣が変わる。

 習慣が変われば 人格が変わる。

 人格が変われば 運命が変わる。

そして 松井選手は、「自分が変われば 運命も変えられる。そう思えば とことん努力をしてみるのもいいのではないでしょうか。」と、この項を締めくくってはります。

何だか 清々しい気持ちになりました。

ありがとうございます。  

 

                                                 

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2007年10月13日 (土)

日本ペンクラブ京都例会に参加

日本ペンクラブ京都例会が、今日 恒例の「洛翠」で 開催され、主人が 会員ですので、同伴出席をしました。

最初に ペンクラブ理事の 直木賞作家・浅田次郎氏の ご挨拶と活動報告。

そして ノンフィクション作家・吉岡忍氏の 講演、「災害と文化への道」。

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続きまして 洛翠園庭園に 場所を移し、直木賞作家・阿刀田高会長の ご挨拶で 園遊会が始まりました。

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今年は 日中の気温が いつまでも高く、池には まだ かわいらしい水蓮の花が 咲いています。

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クラシックな装いの ウェイトレスさん。

京都平安女学院への留学生、イミティさんが ウィグルのお祝いの踊りを 披露してくださいました。中国ウィグル自治区は 人種も文化も ペルシャに近く、エキゾチックで素敵でした。Photo_4 L  

浅田次郎氏と。Img_7484_2

じつは、約10年ほど前 一瞬だけ 「小説を書こう!」と思いつきましたことがあります。

まぁ、即刻 向いていないと自覚しましたが(^_^;)、ちょうどその頃 浅田氏が 直木賞を受賞され、その受賞作品 「鉄道員」を 文芸誌で 読みました記憶があります。

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こちらは 神秘学研究家の 山口雅夫氏。

少し前頃は テレビによく出演なさっていましたが、とても善良で 紳士的なかたで、主人と すっかり意気投合してはりました(^_^)。

そして、帰りのおみやげには、阿刀田氏の 最新刊の本をいただきました。ありがとうございます。Photo_5

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2007年5月18日 (金)

陸軍中野学校OBの I氏を訪ねて

第二次世界大戦前、「日米諒解案」が作成され 開戦回避まで あと一歩でしたことは、歴史の教科書には 載っていません。

そして その諒解案を まとめ上げましたのが、岩畔豪雄・元陸軍大佐であることも ごく一部の人しか ご存知ありません。

この諒解案は 結局、当時 ドイツを訪問し ヒトラーと固い握手を交わしていました 松岡外務大臣に 一蹴され、その後 日本は 開戦へと突き進んでしまいました。

けれども 戦後は、様々な人の思惑などから、その諒解案は 無意味であったものとされ、また 「外務省は 軍の暴走を止めるために 賢明に努力したが 力及ばなかった」 という 「歴史」が 確定してしまいました。

岩畔氏は 戦後も長く生きていらっしゃいましたが、その件に関し ご子息にも ほとんど何も語られないまま 他界されました。

ただ、東京裁判で イギリス等が 岩畔氏の死刑を求めました時、アメリカが 何故か 断固拒否をしたのだそうです。 

この岩畔氏は、主人の父方祖母の従兄にあたります。子供の頃から そうしたお話しを 周囲から聞いて育ちました主人は、いつか この事を 世に問いたいと考えていましたようですが、1999年に ようやく出版に至ることができました。

その前 数年かけての資料集めは、今のようにインターネットが 充分普及していませんでしたし、Googleも アマゾンもありませんでしたので、全国の古書店や図書館に ずいぶん足を運びました。

出版後 1年程の間に、岩畔氏の直接の部下であったという方や お父様が軍医として 岩畔氏と共に 戦地へ赴いていたという方、また政治家の方々等から ご連絡や 新たな資料・情報などをいただきましたが、諸事情から 増刷はできませんままで だんだん収束していきました。

出版後 8年も経ちましたので、最初に 「直接の部下だった」とご連絡くださいました方も ご高齢でお亡くなりになり、もう新たな読者は無いでしょうと 思っていましたところ、先日 京都大学のH教授から 主人にお電話をいただきました。

H教授と主人は 全く面識はありませんが、調べてご連絡くださいましたようです。

H教授が 大変お世話になっていらっしゃる方が、主人の本を読み、「君なら連絡がとれるのではないか」と 依頼されたのだそうです。

そして、お目にかかり 貴重な資料をお貸しくださいましたのが、陸軍中野学校OBの I氏です。

中野学校は 当時の軍事密偵(スパイ)養成学校で 岩畔氏が 立ち上げに関わっていましたそうです。1974年に、フィリピン・ルバング島で 戦後29年目に発見されました 小野田少尉が 中野学校出身者でしたことで、世に知られるようになりました。(中野学校では、たとえどんな目に遭っても けして自害などせず、何としても生き延びて任務を果たすよう 教わったそうです。)

I氏は 亀岡にお住まいですので、資料の返却には 私も一緒に伺いました。

Photo_29 Photo_30 駅から 車でわずか10分余りといいますのに、高台の木々の中に佇むお宅は、全く 静寂に包まれ、車の音さえ聞こえませんのに 驚きます。そして、私の大好きな 小津安二郎監督の 映画の中のような 郷愁を感じさせますインテリア!(右の写真などは、゛東京物語゛のラストシーンで 笠智衆が 背中を丸めて座っていました部屋を 彷彿とさせます。)

一方、笠智衆の老人ぶりとは対極の I氏は、84歳という年齢を感じさせない 軽やかな身のこなしと 明晰な頭脳、淀むことなく 次々に 様々なお話しを聞かせてくださいました。

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車がお好きで、今でも時々 鈴鹿サーキットで走っていらっしゃるとのことで、これは その雄姿です。さすが 中野学校OB!

丁度 お昼時になりましたので、奥様の手料理を出してくださいましたが、この写真の お料理は、「おじいちゃんの焼き鳥」と呼ばれて お孫さん方も大好物のもので、I氏が 子供さんの小さい頃から 「安くタンパク質を採るため」よく作られたとのこと。Photo_26 何でもなさるのですね・・・。200坪の家庭菜園で作っていらっしゃる サラダ菜や玉葱、パセリ、生姜と一緒にいただくと とても美味! そして健康的! 

あ、本題に戻ります。

この度もまた、貴重な資料を お預かりしました。

これは、大戦中 ニューギニアに赴いていました 中野学校出身者が、現地での出来事を 細かく記録していました日記です。

現地の人々との交流も書かれています。Photo_27 Photo_28 たとえば、ある地点へ向かいます時、部隊は コンパスで方角をみますが、現地の人達は 空を眺め 風を感じ 地面の臭いを嗅いで 「こちらだ」と言われ、信じてついて行くと、コンパス通りに行くより はるかに近道であったとか ・・・ 。当時(1940年代)の 現地の人々には 現代人が無くしてしまった 特殊な能力が備わっていたのでしょう、とのお話しでした。

また ほとんど表には出ませんが、終戦前から 戦後にかけ、多くの 中野学校出身者が インドやインドネシア、ミャンマーの独立運動を助け、指導し、成功させたのだそうです。

歴史には、どの国でも 大なり小なり まだまだ 教科書にも専門書にも ほとんど載せられていない事実が きっと たくさんあるのでしょうね。

帰宅後、クリント・イーストウッド監督の 「硫黄島からの手紙」 のDVDを観ました。切なくて 何ともいえない気持ちになりました ・・・ 。

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2006年8月25日 (金)

夏目漱石の書を発見(^o^)/

060115_1343001 母の実家は、愛媛県松山市にありましたが、祖父母は すでに亡くなり、母は一人娘ですので、誰も跡を継ぐ者が無く、相続の時に 家土地も全て 処分してしまいました。

京都からは遠く、また 母は仕事が多忙で 人任せにしていましたので、「戦時中には、防空壕に入れて守った。」と聞いていました 曾祖父や祖父の 大切なお茶道具類は、全てが行方不明になってしまいました。

そして、普段使いの数個の棗やお茶碗と、納戸の奥深くにありました ホコリだらけの 掛け軸や色紙が 無造作に詰め込まれました ダンボール2箱だけが、母のもとへ届きました。

残念ですが、しかたがありません。祖父達の お茶道具も、どこかで大切に使われているのでしたら、幸せなことです(^^)。

ところで、ダンボール箱は、中もろくに確認せずに、そのまま実家の押し入れに入れてありました。

先日、長男が帰省していました時、丁度 母も 時間がありましたので、「一度、ちゃんと 見てみようか。」という話しになりました。

掛け軸を、一本一本あけてみまして、まだ綺麗で 使えそうなものは、表具屋さんで 新たに表装していただくようにと、分けていきました。

数本触りましただけで、手は 真っ黒 ・・・(T_T)。

そのうちに、母が 中学生の時に、賞をとりました お習字や、もう何十年経っていますかもわからない 朝顔の押し花なども出てきまして、ひとしきり 話しに花が咲きました。

すると、長男が、「あれ? これ、漱石って書いてあるけど、あの夏目漱石かなぁ?」 と、手に取りましたのは、紙が黄色く変色しました 古い短冊。

2枚ありまして、そのうち1枚には、別紙に 朱墨で 解説らしきものが書いてあります。

確かに、はっきりと 「漱石」と 読めます。

夏目漱石は、明治の頃、松山に滞在していました時期がありますし、祖父は 開業医でしたが、曾祖父は 当時の松山警察署長、さらに その先代は、四国巡礼札所・石手寺の住職でしたから、漱石本人と 面識がありました可能性は 多々あります。

松山市を舞台としました、「我が輩は猫である」という小説は、私も 子供の頃、愛媛弁のセリフが懐かしく、また しばしば行きました 道後温泉の描写などに 親しみを感じて、繰り返し 読みましたものです。(ストーリーは、子供向けではありませんが)

ですので、もしかしますと、明治の時代、曾祖父達が 漱石と この書を前にしまして、語り合っていたかもしれません。

それを、玄孫が 図らずも、一歩間違えましたら 捨てられていました箱の中から見つけ出しましたなんて ・・・ 面白いものです。

もちろん、鑑定しましたわけではありませんので、本物との確証はありませんが、状況から判断しますと おそらく本物 ・・・。

きっと、曾祖父や祖父達は、この発見を 面白がって、喜んでくれていますことと思います(^_^)。

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2006年5月 3日 (水)

大和し麗し ~ 悠久の原風景

060422_2150001   素敵な写真でしょ(^_^)♪

井ノ上 博之氏の写真集、「大和し麗し~悠久の原風景」の 表紙です。

どのページを繰りましても、しっとりとした空気感が伝わってくるようです。光と影、水と霧の中で、゛今そこにある風景゛だけではなく、その向こうにあります 悠久の時の流れ、歴史への深い愛情を持って ファインダーを覗いていらっしゃる その想いが、素人の私にも 伝わってきますような 美しい写真ばかりです。

そして、その中でも この表紙の写真が 一番 私の心を捉えています。

以前出版しました エッセイ画集に、「私が 親子の絵を好んで描きますのは・・・」という文章を載せました。その文章を書きましたのは もう十数年前のことですが、今思いましたら 少し 親に申し訳なかったかも ・・・ と ・・・。

けれども、゛親子の絵を描くこと゛には 今も 拘っています。 ですので、井ノ上氏の この 鹿の親子の写真を見ました時には まさに 私のツボにはまり、胸が熱くなりました。

そして、是非 実物を拝見したいと思っていましたところ、今回 出版記念写真展を開催なさると聞き、友人Hさんとともに(Hさんのお父様は、井ノ上氏の元・上司とのこと) 伺ってきました。 京都市中京区木屋町三条上ルの ギャラリー中井で 開催されています。

鹿の写真はもちろん、和紙にプリントされました 水墨画のような 不思議な雰囲気の作品もあり、楽しめましたよ(^_^)♪

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2006年4月22日 (土)

♪菜園は、花盛り(^_^)

060423_1110002  お庭の一角に、お野菜やハーブを植えています。

4株ありますブロッコリーは、大変な大株となり 毎日の夕食の一品となっていますが、主人と二人ですので、なかなか食べきれません。 そうこうしていますうちに、ついに お花が咲き始めてしまいました(^_^;)。

それでも、今のところ お花ごと収穫し、重曹をひとつまみ入れました お湯で茹でますと、とても柔らかく 色も鮮やかになりますので、ドレッシングや酢みそをかけましたり 胡麻和えにしましたり 毎日美味しくいただいています。 「体に良い葉緑素を、たっぷり食べているよ~♪」 という気持ちに満たされます(^_^)。

060423_1110001_1 芽キャベツは、「いつになったら 丸い芽キャベツが出てくるのかな~」と 楽しみに待っていましたら、何故か 芽キャベツではなく りっぱなお花になってしまいました。

水菜は、満開の時期を過ぎ すでに種ができています。青梗菜も 収穫しそびれていますうちに 可愛いお花が 満開になりました。060420_1004002

いずれもアブラナ科ですのか、よく似た 黄色い可愛らしいお花が咲いています。

ボリジーは、12月から咲き始め ブロッコリー同様 大変な大株となりましたが、今のところ 使いあぐねまして 鑑賞して楽しんでいます。明日あたり 葉っぱをサラダにしてみようとは思っています。

お葱も 葱坊主(お花)が咲いています。060420_1004003

その他、ワイルドストロベリーと菊菜には 白いお花が咲いていますし、ローズマリーは紫のお花 ・・・

菜園のはずが、春爛漫の花壇になっています 我が家のお庭です♪(^_^)♪

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2006年3月13日 (月)

北方謙三の 歴史小説

週末は、主人と 東京へ。 次男は、オーストラリアへひとり旅に出ていますので、長男と3人での 食事になりました。

息子達は、たいそうな読書家ですが、性格や生き方が違うように、読書の方法も 全く違っています。

長男は、毎日 日本の小説、英語の小説、自己啓発本、経済関係、北欧家具などの趣味の本を、同時進行で 5~6冊ずつ きっちりペースを決めて 読んでいます。 次男は、その時々で 目についたもの、興味のあるものを どんどん流し読みしていくタイプ。 その違いを、面白いなぁ ・・・と 思いつつ 見ています。

そして、長男は 自分が感銘を受けました本や 主人や私に役立ちそうな本を、よく 薦めてくれるのですが、なかなかペースが追いつかず、ついついそのまま ゛積ん読゛状態 ・・・ ですので、以前 「電話越しの読書会」の項で 書きましたように、エッセンスを聞かせてもらうことが多いのです。

最近 長男は、北方謙三の 歴史小説に 凝っているようで、その独特なタッチに 血湧き肉躍る思いで 面白くてたまらないのだそうです。

また、メジャーな人物ばかりでなく マイナーな人物にもスポットを当てて描き、心理描写が じつに細かく丁寧で、さらに 情景の描写も美しく、北方氏特有の ハードボイルドタッチの美学が貫かれているため、読んでいると 右脳が ものすごく活性化しているのが わかるのだそうです。

そ・・・そろそろ 私も、きちんと 自分で読みまして、右脳を 活性化させなければいけません・・・(^_^;)。

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2005年11月29日 (火)

電話ごしの読書会

二人の息子達は、容姿も 性格も 趣味も 何故か 全く違っているのですが、ああ見えて(?)、二人とも 結構 苦労人で 努力家で、また ものすごい 読書家です。

そして、長男は 自分が読んでみまして 良かった本を、よく 私にも 薦めてくれます。・・・・ですが、私は、なかなか せっかくの 「息子の お薦め本」を 読破することができず、机の上に たまっていくのです・・・(^^;)。

時々 電話で、「あの本 読んだ?」と 聞かれまして、「う、うん・・・まだ全部は読んでへんけど、最初の方は 読んだよ(^_^;)。」と 答えなければなりません。

すると、「まだ全部読んでないん?」と、内容を 抜粋しまして 読んでくれることもあります。子供達が 幼い頃、毎晩 寝る前に ベッドに二人を並べまして、本の読み聞かせをしてあげていたのですが、その 逆パターンで、不思議なもんやなぁ・・・と、息子が 電話の向こうで 大真面目に 読んでくれているのですが、ふと 笑いそうになることもあります。

先日も、「すごくいい詩を見つけた。口に出して読んだら、なんか 心が あったかくなるような気がするねん。」と、電話ごしに 読んでくれましたのが、後述の詩です。

「お母さんが 毎日読めるように、メールでも 送っとくし。」と、息子は 電話を置きました(^_^)。

  『道が常に あなたの前にありますように。

   風がいつも あなたの背中を押してくれますように。

   太陽が あなたの顔を暖かく照らし、

   雨が あなたの畑にやさしく降り注ぎますように。

   そして ふたたび会う日まで、

   神様が その手のひらで、

   あなたをやさしく包んでくださいますように。』

                  ~アイルランドの古い祝福の言葉

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2005年6月 6日 (月)

アルケミスト

長男は、ライブドアでブログを書いています。ちょくちょく 覗きに行きますが、(親ばかですが)飄々とした テンポの良い 若者らしいタッチの文章で、けっこう面白く、笑ってしまいます。

私は、基本的には、子供は たっぷりの愛情をかけ、できれば 栄養バランスの良い食事と、充分な睡眠が得られれば、たとえ 紆余曲折があっても、きっと 真っ当な人間に育つと 信じています。

ですので、息子達が小さい頃から、食事と睡眠に関しては かなり気をつかったのですが、勉強に関しては 呑気に 本人達の自主性に 任せていました。

そんな訳で、長男は 小学校の6年間、一度も宿題をしたことが無いのです!(自慢するようなことでは・・・(^_^;))。カソリック系の学校でしたので、はじめの頃は シスターによく叱られましたが、そのうち 何も言われなくなり、参観日に行っても、一人 窓の外の雲を「きれいやなぁ。」と、眺めているような子でした。ですが、そういう息子を 微笑ましく見ていたのですから、今思えば むしろ 息子より親の方が、問題だったでしょうね。何しろ、その学校では、親子共々 浮いていました。

それが、中学に入ると 急に自覚ができたようで、また、負けず嫌いの性格も芽生え始め、自分で 目標を持って 行動するようになりました。高校・大学の受験に関しても、自分で目標を設定し それに向けて じつに真面目に努力をし、親は ただ見守るだけでした。

長男の 座右の銘は、「アルケミスト」(パウロ・コエーリョ著、角川文庫)。辛いことがあった時、くじけそうになった時、何度も何度も 読み返すのだと 話してくれました。

小学生の頃、いつも 夢の中に生きているように ポワ~ンとしていた長男が、今は 挫折を味わっても、「アルケミスト」の主人公のように、信念を持って 立ち直り、時々 私に お説教までしてくれるようになったなんて・・・感慨深いものがあります。

これからも、夢に向かって 自分の思い通りに生きてね。お母さんは、後ろに立って(背後霊みたい!) ずっと見守っています。

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