2023年長月の日々 ~ マナちゃん、まさかの、虹の橋を渡りました・・・
この水曜日、15日の早朝、突然、マナちゃんが、虹の橋を渡りました。
享年6才。
まだこれから、10年以上、一緒に暮らすと信じて疑いもせず、マナちゃんありきの未来を思い描いていました。
福ちゃんが天に召されて、わずか2週間足らずで、何故、天は、このような試練をお与えになったのか・・・
どうしても、受け容れられません。
福ちゃんは、ゆっくりと年をとり、寿命を全うし、短期間寝たきりにはなりましたが、充分にお世話をしてあげられましたし、亡くなる直前まで、尻尾を振って、気持ちを伝えてくれましたし、本当に、すーっと安らかに、ごく自然に天に還るような最期でした。
ですので、寂しさが込み上げてくることはありましても、悔いは無い、という気持ちでした。
それなのに、マナちゃんは、まだ若く、あまりに突然過ぎて、その死を受け容れることができません。
14日の夜、11時半過ぎ頃、マナちゃんの様子がおかしいことに気が付きました。
口から泡が出て、呼吸がとても苦しいようで、身の置き所が無いように、動き回っていました。
その日の朝、いつもは、私がキッチンに立ちますと、すぐに、ドライ胸肉をおねだりにとんできますのに、箱座りをしてじっとしていましたので、眠いのかなと、思っていました。
その前夜まで、大好きな海老フライのおもちゃで遊んだり、走り回ったり、ダイニングテーブルからキャットタワーに飛び移ったり、元気に過ごしていましたので、全く、思いもよりませんでした。
ネットで、『夜間動物救急センター』というところを見つけ、夫と一緒に連れて行きました。
着いたのは、15日の午前2時でした。
それから、血液やレントゲンの検査をしていただき、待っている間、時々聞こえてきますマナちゃんの声に、胸が痛んで痛んでたまりませんでした。
本人は、何がそんなに苦しいのか、何をされているのかわからないでしょうに、お父さんお母さんから離され、冷たい処置室で怖い思いをしているのでしょうと・・・
1時間余りで、獣医さんに呼ばれましたが、心不全による肺水腫で、もう手の施しようが無いと。
このまま、ここで点滴をして様子を看てもよいが、ご家族が帰られた後で亡くなる可能性もある、どうしますか?・・・と。
迷わず、連れて帰る選択をし、酸素室と、重い酸素濃縮器をリースして、帰宅しました。
帰宅後、リビングに酸素室を設置し、中のマナちゃんに、夫と一緒に、声をかけ続けました。
苦しそうな呼吸は改善せず、時々、声をあげます。
マナちゃんは、大人になりましても、仔猫のような可愛らしい声のままで、いつも、おねだりされると断り切れず、
『マナちゃんの声は、反則的やね』と笑っていました。
苦しむ姿を見るのは、本当に辛い。
私たちには、見守ること、せいぜい酸素室に手を入れて撫でることしかできないのですから。
そして15日の朝、5時45分頃、おそらく肺が水浸しになって溺れるような苦しさでしたのでしょうが、一瞬暴れて、息を引き取りました。
様子がおかしいと気付いてから、わずか6時間ほどで、あっけなく逝ってしまいました。
とうてい受け容れる事ができないままです。
酸素室から、マナちゃんの身体を出して、吐物で汚れた毛を、夫が、綺麗に拭いてあげました。
夫は、寝る前に、マナちゃんの身体を、おしぼりで拭いてあげるのが日課でした。
マナちゃんは、ちょっと天邪鬼なところがあり、夫がおしぼりの準備をはじめると、わざと逃げたり隠れたりするのです。
それで、こちらが知らん顔をしていますと、
『ねぇねぇ、何か忘れてません?』
と、出てきます。
ほぼ毎日、そんなコントのようなやり取りをして、それがとても可愛かった・・・
私がキッチンに立つと、横に来て、前足で、私の腕をチョンチョンと触り、
『ねぇねぇ、そのお手々でドライ胸肉をちょうだい』『お水を出して』(マナちゃんは蛇口からお水を飲むのが好きでした)と、おねだりしました。
それでも、子供時代に1人で生きていましたせいか、素直に甘えるのが苦手なところもあり、抱っこされると居心地悪そうにしていました。
それが、福ちゃんが寝たきりになりました頃から、甘えん坊になり、つい先日も、黙って私のお膝にソーッと乗ってきまして、撫でてあげると、ずっと大人しくしていました。
これから10年以上、こんな優しい時間を過ごせるものと、信じて疑いもしませんでした。
福ちゃんが亡くなり、夫と、
『以前は、私たちが帰ると、福ちゃんとマナちゃんとでお出迎えしてくれたのにね』
と話していましたのに、マナちゃんまで、突然逝ってしまいました。
意味がわかりません。
天は、何を学ばせようと、このような哀しみを与えられたのでしょう。
想い出は尽きず、お棺に入れられましたマナちゃんに、夫は、
『色んなことがあったね、あんなことやこんなこともあったね、うちに来てくれて、ありがとう、ありがとう』
と、ずっと語りかけていました。
2017年当時、毎朝5時に、夫が福ちゃんを連れてお散歩に出ますと、いつも同じ家の塀の上で、それを待っていたマナちゃんが、飛び降りて、サーッと前を横切っていきました。
声を掛けたり寄って来るでもなく、ただ時間を合わせて、前を横切るのです。
マナちゃんが、何故そのような行動をとっていましたのかはわかりませんが、夫は、縁を感じていました。
大雨や台風の日は、心配で心配で、たまらない様子でした。
そして、寒くなる前に、この小さな仔猫を、何とか保護しようと、ダンボール箱を持って追いかけましたが、よう捕まえませんでした。
それをたまたま見ていらっしゃったご近所のかたが、
『町内に、ボランティアで、地域猫を捕まえて避妊手術をして、また地域に放す活動をしている人があるので、聞いてみてはどうですか』
と、教えてくださいました。
そのかたにお願いにあがると、マナちゃんは、ちょうどリストに入っており、近日中に捕獲して獣医さんに連れて行く予定とのことでした。
ですので、手術後は、放すのではなく、私たちに託していただくようにと、お願いしました。
夫も私も、猫さんを飼うのは初めてで、その特性も、飼い方も、全く知りませんでしたが、福ちゃんも優しく受け容れてくれました。
それから今日まで、この子たちに癒やされ、苦しいことや辛いことがありました時期にも、助けられてきました。
喪失感はもう計り知れません。
まだこれから、10年以上、一緒に暮らすと信じて疑いもせず、マナちゃんありきの未来を思い描いていました。
福ちゃんが天に召されて、わずか2週間足らずで、何故、天は、このような試練をお与えになったのか・・・
どうしても、受け容れられません。
福ちゃんは、ゆっくりと年をとり、寿命を全うし、短期間寝たきりにはなりましたが、充分にお世話をしてあげられましたし、亡くなる直前まで、尻尾を振って、気持ちを伝えてくれましたし、本当に、すーっと安らかに、ごく自然に天に還るような最期でした。
ですので、寂しさが込み上げてくることはありましても、悔いは無い、という気持ちでした。
それなのに、マナちゃんは、まだ若く、あまりに突然過ぎて、その死を受け容れることができません。
14日の夜、11時半過ぎ頃、マナちゃんの様子がおかしいことに気が付きました。
口から泡が出て、呼吸がとても苦しいようで、身の置き所が無いように、動き回っていました。
その日の朝、いつもは、私がキッチンに立ちますと、すぐに、ドライ胸肉をおねだりにとんできますのに、箱座りをしてじっとしていましたので、眠いのかなと、思っていました。
その前夜まで、大好きな海老フライのおもちゃで遊んだり、走り回ったり、ダイニングテーブルからキャットタワーに飛び移ったり、元気に過ごしていましたので、全く、思いもよりませんでした。
ネットで、『夜間動物救急センター』というところを見つけ、夫と一緒に連れて行きました。
着いたのは、15日の午前2時でした。
それから、血液やレントゲンの検査をしていただき、待っている間、時々聞こえてきますマナちゃんの声に、胸が痛んで痛んでたまりませんでした。
本人は、何がそんなに苦しいのか、何をされているのかわからないでしょうに、お父さんお母さんから離され、冷たい処置室で怖い思いをしているのでしょうと・・・
1時間余りで、獣医さんに呼ばれましたが、心不全による肺水腫で、もう手の施しようが無いと。
このまま、ここで点滴をして様子を看てもよいが、ご家族が帰られた後で亡くなる可能性もある、どうしますか?・・・と。
迷わず、連れて帰る選択をし、酸素室と、重い酸素濃縮器をリースして、帰宅しました。
帰宅後、リビングに酸素室を設置し、中のマナちゃんに、夫と一緒に、声をかけ続けました。
苦しそうな呼吸は改善せず、時々、声をあげます。
マナちゃんは、大人になりましても、仔猫のような可愛らしい声のままで、いつも、おねだりされると断り切れず、
『マナちゃんの声は、反則的やね』と笑っていました。
苦しむ姿を見るのは、本当に辛い。
私たちには、見守ること、せいぜい酸素室に手を入れて撫でることしかできないのですから。
そして15日の朝、5時45分頃、おそらく肺が水浸しになって溺れるような苦しさでしたのでしょうが、一瞬暴れて、息を引き取りました。
様子がおかしいと気付いてから、わずか6時間ほどで、あっけなく逝ってしまいました。
とうてい受け容れる事ができないままです。
酸素室から、マナちゃんの身体を出して、吐物で汚れた毛を、夫が、綺麗に拭いてあげました。
夫は、寝る前に、マナちゃんの身体を、おしぼりで拭いてあげるのが日課でした。
マナちゃんは、ちょっと天邪鬼なところがあり、夫がおしぼりの準備をはじめると、わざと逃げたり隠れたりするのです。
それで、こちらが知らん顔をしていますと、
『ねぇねぇ、何か忘れてません?』
と、出てきます。
ほぼ毎日、そんなコントのようなやり取りをして、それがとても可愛かった・・・
私がキッチンに立つと、横に来て、前足で、私の腕をチョンチョンと触り、
『ねぇねぇ、そのお手々でドライ胸肉をちょうだい』『お水を出して』(マナちゃんは蛇口からお水を飲むのが好きでした)と、おねだりしました。
それでも、子供時代に1人で生きていましたせいか、素直に甘えるのが苦手なところもあり、抱っこされると居心地悪そうにしていました。
それが、福ちゃんが寝たきりになりました頃から、甘えん坊になり、つい先日も、黙って私のお膝にソーッと乗ってきまして、撫でてあげると、ずっと大人しくしていました。
これから10年以上、こんな優しい時間を過ごせるものと、信じて疑いもしませんでした。
福ちゃんが亡くなり、夫と、
『以前は、私たちが帰ると、福ちゃんとマナちゃんとでお出迎えしてくれたのにね』
と話していましたのに、マナちゃんまで、突然逝ってしまいました。
意味がわかりません。
天は、何を学ばせようと、このような哀しみを与えられたのでしょう。
想い出は尽きず、お棺に入れられましたマナちゃんに、夫は、
『色んなことがあったね、あんなことやこんなこともあったね、うちに来てくれて、ありがとう、ありがとう』
と、ずっと語りかけていました。
2017年当時、毎朝5時に、夫が福ちゃんを連れてお散歩に出ますと、いつも同じ家の塀の上で、それを待っていたマナちゃんが、飛び降りて、サーッと前を横切っていきました。
声を掛けたり寄って来るでもなく、ただ時間を合わせて、前を横切るのです。
マナちゃんが、何故そのような行動をとっていましたのかはわかりませんが、夫は、縁を感じていました。
大雨や台風の日は、心配で心配で、たまらない様子でした。
そして、寒くなる前に、この小さな仔猫を、何とか保護しようと、ダンボール箱を持って追いかけましたが、よう捕まえませんでした。
それをたまたま見ていらっしゃったご近所のかたが、
『町内に、ボランティアで、地域猫を捕まえて避妊手術をして、また地域に放す活動をしている人があるので、聞いてみてはどうですか』
と、教えてくださいました。
そのかたにお願いにあがると、マナちゃんは、ちょうどリストに入っており、近日中に捕獲して獣医さんに連れて行く予定とのことでした。
ですので、手術後は、放すのではなく、私たちに託していただくようにと、お願いしました。
夫も私も、猫さんを飼うのは初めてで、その特性も、飼い方も、全く知りませんでしたが、福ちゃんも優しく受け容れてくれました。
それから今日まで、この子たちに癒やされ、苦しいことや辛いことがありました時期にも、助けられてきました。
喪失感はもう計り知れません。
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