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2022年4月 4日 (月)

『心のともしび運動本部』のグレアム・マクドナル神父が帰天されました。

 


202242


3月30日
『心のともしび運動本部』(善き牧者の会~通称・YBU) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%97%E3%81%B3  の、
グレアム・マクドナル神父 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB  が帰天なさいました。
享年94才。

4月2日の土曜日に、河原町三条カトリック教会にて、葬儀ミサ・告別式が執り行われました。

非公開でしたが、私たち夫婦は、マクドナル神父さまに洗礼を授かっていますご縁もあり、ゴッドマザーのmさんとご一緒に、参列させていただきました。


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祭壇に飾られました神父さまの遺影が、真っ白に輝いており、私は、照明が当てられているものと思っておりましたが、後に移動されました時にも輝き続けており、そうではないとわかり、不思議な気持ちになりました。

神父さまは、穏やかで、人とお話しをすることが大好きな、誰にでも無垢な笑顔で接してくださる、まさに天使のようなかたでした。

1960年に来日され、その後、YBUに着任され、創始者のハヤット神父 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%83%83%E3%83%88  の補佐として、布教と英語教育、奉仕活動に尽力されました。
2009年に、ハヤット神父が帰天されましてからは、おひとりで、『心のともしび運動』を支えていらっしゃいました。

一方で、非常に頭脳明晰で、ITにも明るく、常にiPad片手に、人々とコミュニケーションを楽しまれたり、情報収集していらっしゃいました。

マクドナル神父との出会いは、夫が、子供の頃から聞かされていました縁戚の岩畔豪雄・元陸軍大佐について調べたい、という動機がきっかけとなりました。

当時は、インターネットの検索サイトなどありませんでしたので、夫は、国会図書館や、全国の古書店を巡り、資料を集めました。
そして、1999年に、出版をいたしました。

https://www.amazon.co.jp/%E8%AC%80%E7%95%A5%E2%80%95%E3%81%8B%E3%81%8F%E3%81%97%E3%81%A6%E6%97%A5%E7%B1%B3%E3%81%AF%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AB%E7%AA%81%E5%85%A5%E3%81%97%E3%81%9F-%E6%A9%8B%E6%9C%AC-%E6%81%B5/dp/4898272002

その中で、岩畔氏が、太平洋戦争を回避するために、戦前、カトリック教会メリノール派の神父を通して、和平交渉を模索していたことに辿り付き、出版後も、まだ色々と調べ足りないとの思いから、調査を続けておりました。

ある日、夫の外来診察に、ボアベール・イヴ神父(カトリック教会ヴィアトール派)がみえ、お話しをしましたところ、
『京都で、「心のともしび運動本部」の活動をされているハヤット神父とマクドナル神父が、メリノール派ですので、何かご存知かもしれません』
と、ご紹介くださいました。

2002年に、夫は、『心のともしび運動本部』を訪ね、初めて、ハヤット神父とマクドナル神父に面会いたしました。

その後、2010年に、私たち夫婦は、マクドナル神父から洗礼を授けていただくご縁となりました。





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この木彫りの母子像は、マクドナル神父が、私たち夫婦に託してくださいました。
かつて、『心のともしび運動本部』のTV番組のオープニングに登場していましたものです。


以下は、書くことを迷いましたし、マクドナル神父は、それを望まれないことは承知しておりますが、やはり記録として記しておくことにいたします。
断片的に見聞きしましたことですから、間違いや誤認もあるかもしれませんが・・・

河原町三条カトリック教会は、1888年から、今の場所にあるそうです。

京都新聞・京都放送の社長を務められました 白石古京氏(1991年没) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%9F%B3%E5%8F%A4%E4%BA%AC  は、敬虔なカトリック信者で、彼の寄付により、1967年に、現在の聖堂が建立されました。

また、教会に隣接する旧・京都ロイヤルホテルは、2018年に、施設老朽化のために取り壊されましたが、私の聞きましたお話では、老朽化が原因というよりも、借地権が教会にあり(白石氏の寄贈)、その期限の問題ではないかとのことでした。

ホテルが教会の土地であったとの信憑性は、ホテルの建物にほぼ同化して、カトリック京都教区のビルがあり、教区の事務所が入っていましたことからもうかがえます。

ホテルの取り壊しに伴い、そのビルも取り壊されることとなりましたので、京都教区から、教会の裏に位置しますYBUの土地建物を、京都教区に明け渡すようにとのお話しがきました。

けれども、『心のともしび運動本部』YBUは、独立した宗教法人であり、マクドナル神父の所属は、東京教区で、京都教区の下部組織ではありません。
何より、この小さなお御堂と、簡素な生活スペースを持つ建物は、創始者のハヤット神父が礎を造られ、マクドナル神父が引き継いで守ってこられたものですから、筋が違う要求です。

そのような訳で、お返事を延ばし延ばしにしていますうちに、何となく立ち消えになりました。

とはいえ、マクドナル神父は、ご自分の年齢から、後継の神父を探していらっしゃいました。

数年前に、O神父がいらっしゃり、しばらくYBUのお手伝いをなさっていましたが、
2019年に、京都教区から派遣されましたM神父と交替されました。

マクドナル神父は、何ごとも、ゆるゆるのんびり、おおらかなお人柄ですが、M神父は、たいへん厳しく几帳面で、YBUの大掃除を始められました。
古い資料など多くを断捨離され、ある人によりますと、
『まるで、ハヤット神父とマクドナル神父の痕跡を、全て抹消する勢いに見えた』
とのことです。

また、それまでは、『心のともしび運動本部』のWebサイトにおいて、マクドナル神父が、視聴者の質問にお答えするコーナーもありましたが、それも廃止とされ、神父さまが表に出られることを、極力抑える方針となりました。

丁度、コロナ禍も重なり、神父さまは、外出も、人と会うことも制限され、さらには、感染対策を理由に、ミサや茶話会にも、声をかけられることが無くなりました。

何より、人とお喋りし、笑い合うことの大好きな神父さまにとりましては、どれほど苦痛であったことでしょう。
もちろん、神父さまは、一切、不満は口にされず、全てを受け容れていらっしゃいました。

その間も、私たち夫婦は、mさんのはからいで、月に一度は、神父さまのお好きなケーキとコーヒーを携えて、お部屋を訪ね、4人でしばし、談笑の時間をもたせていただいておりました。

もともとお話し好きの神父さまですから、その日を楽しみにしてくださっていましたし、私たちにとりましても、心のよりどころ、色々なストレスや雑念をリセットできるような時間でした。

それでも、お会いする度に、心身が弱っていらっしゃるように感じ、胸が痛んでおりました。

年齢を考えますと、やむをえないこととはいえ、高齢者ほど、人とのコミュニケーションを断たれ、行動制限されると、老化が促進されるのは当然のことで、このコロナ禍で、それは大きな問題となっています。

人が次々に倒れ亡くなるような凶悪な感染症でしたらともかく、若年層にとりましては普通の風邪、高齢者にとりましても同様で、
高齢者は、これまでも、肺炎球菌やインフルエンザ、誤嚥性肺炎で、毎年、新型コロナどころではない多くの人が亡くなってきましたし、社会は、それを受け容れてきましたのに、
新型コロナに関してのみ、世界がヒステリー状態となり、感染対策の名の下に、過剰な行動制限、私権制限が行われています。

それまでは、人権に関して一家言ありました人たちまでもが、声高に私権制限の実施を主張される様子に、
私は、ほんとうに驚き、落胆いたしました。

お話しがそれましたが、そうした状況の中で、昨年10月、YBUの理事会におきまして、マクドナル神父は、代表理事を退任され、M神父が、新たに着任されました。

理事会で決議がなされました時、お2人のかたから、
『マクドナル神父は、60年近くも、心のともしび運動本部の顔として、布教と奉仕に人生を捧げてこられたのですから、その功績を称え、名誉理事などの肩書きで、残っていただくべきではないか』
との声があがったそうですが、却下され、殆どのかたは、その決定に黙って従われたそうです。

私は、自らの、2017年12月の病院理事会での出来事がフラッシュバックし、体調を崩すほどのショックを受けました。

また、退職に伴い、それまで神父さまに、毎月支払われていました月額9万円(何十年も9万円のまま!)も、停止となり、その功績からしますと驚くほど少ない額の退職金が支払われました。

退職後も、YBUの建物に住み続けても良い(当たり前です!)との条件でしたが、大腿骨骨折により、介護が必要となり、お一人暮らしですので、入浴介助や休日のお食事などのために、月50万円近くの介護費用がかかり、退職金も、どんどん目減りしてゆく状況でした。

そして、もしも神父さまが亡くなった時に、その退職金が残っていたら、返納するように、公証人を立てて書類を整えておくように、とも伝えられていたとのことです。

私たちが、
『抗議しましょうか?』
『東京教区の司教に相談しましょうか?』
と言いましても、神父さまは、首を横に振りながら、お茶目に両手を広げられ、
『神さまの思し召し、私は、天のお迎えがくるのを、楽しみに待つだけです』
と、笑顔でおっしゃいました。

まだまだ書きたいことはありますが、神父さまが、困っていらっしゃるでしょうから、もうここで、一旦留めておきます。

マクドナル神父さまは、まさに、
『心のともしび運動本部』の標語であります
『暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう』
を、素直に、心から実践され続け、
信仰に生き、人々のために祈り続けてくださいました。

そして、安らかに、眠るように、す~っと帰天されました。

私は、まだまだ悟ることができず、このように書き連ねています次第ですが・・・・・・・

祈ります。
祈りとクリーニングを続けます。

神父さま、ごめんなさい・・・・・・・




(追記)

20101030


2010年、洗礼式の時の、マクドナル神父です。



20101030_20220404161801

そして、受洗の時の私たちです。
葬儀ミサには、喪の帯ではなく、この、黒地に白百合の染め帯を締めました。
私のささやかな思いの表現といたしまして。


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