« 祇園祭の山鉾巡行 | トップページ | 思い切って・・・・・・(^_^)。 »

2008年7月21日 (月)

呉へ。

080719_191100021jpg 主人の父方祖母の 旧姓は 岩畔(いわくろ)といいます。

祖母は、広島の 倉橋島で 故・岩畔豪雄氏とともに 育ちました。

岩畔豪雄氏は 元・陸軍大佐。

太平洋戦争開戦前に、当時の 米国・ハル国務長官と 日米和平交渉を行い、諒解案を まとめあげました。

もし この交渉がうまくいっていましたら、あの戦争は 回避できましたかもしれません。

けれども、時の 松岡外相に 一蹴され、岩畔氏は 左遷をされました。

戦後、様々な 思惑のある人々や 歴史学者により、その諒解案は 無意味なものであったとされ、歴史の教科書にも 載せられてはいません。

ただ、東京裁判では 「インド独立運動を先導した」 としまして、身柄の引き渡しを 強硬に主張しますイギリスに対し、アメリカは 断固 拒否をし、大佐でありましたにも関わらず 戦犯にも問われませんでした。

戦前戦中のことに関しまして、ほとんど ご家族にも 何も語られませんでした岩畔氏も、その件につきましては、 「ハルが 守ってくれた。」 と おっしゃっていはりましたそうです。

主人は、子供の頃から 祖母達から 岩畔豪雄氏の 人となりを聞かされていましたので、一部で 否定的に語られます 氏の 真実を 調べて世に問いたいと、ずっと 思い続けていましたそうです。

そして 1997年に、「謀略」と 題しましたドキュメンタリーを 出版しました。http://www.amazon.co.jp/%E8%AC%80%E7%95%A5%E2%80%95%E3%81%8B%E3%81%8F%E3%81%97%E3%81%A6%E6%97%A5%E7%B1%B3%E3%81%AF%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AB%E7%AA%81%E5%85%A5%E3%81%97%E3%81%9F-%E6%A9%8B%E6%9C%AC-%E6%81%B5/dp/4898272002

初版は 完売しましたが、現在は その全文を インターネット上に あげてあります。http://iwakuro.com/index.html

ところで、出版後 祖母亡き後 直接交流のありませんでした 岩畔家の人々や、関係者の方々から ご連絡をいただきまして、新たな エピソードや 晩年の岩畔豪雄氏につきましての お話をうかがうことができました。

そして この度、豪雄氏の 又従弟にあたります お祖父様にお目にかかりますため、広島の呉へ お招きいただき 行ってきました。

おじい様は 100才!

この3月まで、呉で 開業医としまして 診療をされていましたそうです!

ご本人は まだまだ現役のおつもりでしたが、周囲の人達のご心配により 引退されましたものの、退屈だからと 4月からは パソコンを始めはりました。

100才の手習いです!

100才とはいえ、お写真からもわかりますように、70代にしか見えません。

実際 お話をしていましても 矍鑠としていはりますし、記憶力も 抜群です。

お食事も 私たちと同じものを 同じペースで いただかれます。もちろん 背筋はまっすぐで さっさと歩かれます。

直接 豪雄氏と 面識のあります もう数少ない人ですので、色々と お話を聞くことができまして 良かったです。

Img_30021jpg100jpg     

100才のおじい様との ツーショットです。

Img_29941jpg

そして こちらは、この春生まれの 0才の赤ちゃんとのツーショット(^_^)。

100才から 0才まで、一世紀の年齢差のあります会食は、和やかで 楽しく 思い出深いものとなりました。

ありがとうございます。 

|

« 祇園祭の山鉾巡行 | トップページ | 思い切って・・・・・・(^_^)。 »

コメント

rockside1さま

ご連絡いただきまして、ありがとうございます。

夫が本を書きましたのをきっかけに、岩畔豪雄氏のご子息との交流がありましたが、そのかたがお亡くなりになってからは、ご家族とは疎遠になっております。

呉の岩畔のお祖父さまは、108才まで、矍鑠となさって、ご自分でパソコンもなさっておりましたが、3年前にお亡くなりになりました。
お孫さまとは、今も、お仕事でも繋がっております。

もしよろしければ、ご紹介いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。


投稿: ゆみ | 2019年8月19日 (月) 20時54分

はじめまして、神戸の岩畔と申します。

単行本の謀略読ませていただきました。
私の父も祖父も倉橋島出身です。
父は17歳で陸軍航空隊に入って、
中国大陸で戦って居たときに、時々
当時将軍の岩畔豪雄さんが、面会に来てくれたと言っておりました。

豪雄さんが亡くなられた時に、祖父は
葬儀に参列したときに、政府の重鎮方々
が参列されていた事も聞いて居ました。
ので、現在東京に豪雄さんの息子さんの
お嫁さんが現在80代半ばでおられましたので
3回ほどお会いして短い時間ですが、
お話させていただきました。

昨年も話をお聞きしようとお電話差し上げた
のですが、体調が思わしくないとの事で
会いに行けませんでした。

岩畔の名前に興味があったので、
祖先探しで、たまたま好機があり、、
天保12年(1841年)生まれの
岩畔勘三郎まで遡る事が出来ました。
その父、岩畔太郎右衛門(生年月日は解らなかったですが)
5代先まで。

まだ、横の繋がりはまだ解っていませんが・・・

これからも、いろんな方にお話をお聞きして
点と点が線に結ばれないかなと思っております。

長々と失礼しました。

投稿: rockside1 | 2019年8月18日 (日) 12時56分

足守藩主様

ありがとうございます

あの戦争では、多くの人が 人生を狂わせてしまいましたね。

今も 世界各地で、紛争が起きています。

一人一人の人生を思うと、辛いですね。

投稿: ゆみ | 2008年8月28日 (木) 16時23分

私の父は戦後もしばらくシベリア抑留されました。戦争がなければ父の人生はもっと違っていたでしょう。

投稿: 足守藩主 | 2008年8月27日 (水) 21時19分

宵待草様

ありがとうございます

お母様のお言葉、母親なら たいてい誰もがそのお気持ち、わかるでしょうね。

呉では、戦艦大和ミュージアムへ行きました。

亡くなった方々の遺書や遺品も展示してあり、胸が痛くなります。

うちの息子達よりも 若い年齢の人も多くあります。

この方々は、役割を 立派に務めて逝かれたと 思ってあげなければいけませんが、作戦そのものや 戦艦大和そのものを、美化してはいけないという思いが いっそう強くなりました。  

投稿: ゆみ | 2008年7月24日 (木) 19時27分

100才からパソコンですか素晴らしいですね!ゆみさんのおっしゃる通りどうみても70代ですねぇ。(あやかりたいものです)
 
先日から少しづつですが「謀略」をHPにて拝見させて貰ってるところです。読み終えてから書き込みをさせて貰うつもりでしたが還暦すぎて(内緒!!)すぐに眼が疲れてしまい時間がかかりそうです

難しい話は頭がついてきませんので最近は避けて通りたいところですが
ブログをみて是非読んでみたくなりました。

主人の父も3人の男児(主人は末っ子)を残して戦死。嫁いでから5年しか一緒にいることが出来なかった義母は悔しさをよく話してくれていました。
心に残っている言葉は万一、息子たちが戦争に行くようなことが起こっても今度は絶対に戦地には行かせない。私が鉄砲に撃たれようと行かせない・・・と。

もしも、あの戦争が回避されていたなら1歳で父を亡くした主人の人生も少しは変わっていたでしょうね
 

投稿: 宵待ち草 | 2008年7月24日 (木) 12時28分

sky-lark様

お久しぶりです

ありがとうございます

おっしゃるとうり、前線で敵味方として戦わなければならない人達も、国へ帰れば、優しいお父さんであったり 息子であったりすることを思いますと、本当に やりきれない気持ちになります。

同じ過ちは、絶対に 繰り返してはいけないと思います。

伯父様のお話し、主人に 伝えさせていただきました。ご友人のご著書も 探してみます。

投稿: ゆみ | 2008年7月23日 (水) 07時28分

暑中お見舞い申し上げます。東奔西走の由美さんに、エネルギーを頂いています。私の伯父は、ミクロネシアへ出征していました。伯父亡き後、戦友(南冥の孤島に生きるを執筆)の方に当時の事をお聞きしましたが、抗えないパワーに支配されていた事を感じました。国を越えた友情秘話のお陰で生きて帰れた。と話して下さった事を是非、続編として執筆して頂きたい。とお願いしました。同じ過ちを繰り返さない為にも・・・。

投稿: sky-lark | 2008年7月23日 (水) 04時03分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 呉へ。:

» 中国筋の評判軍隊 [いけてる靴!!]
AVIREX U.S.A ミリタリーブーツ CONBAT AV2000 KAH COMO 米国政府が進めている過激な民営化政策を逆転させない限り、米国の戦争機械は必然的に私営軍隊に依存しつづける。実際、戦争の人的コストをできるだけアウトソーシングすることは、戦争を推進する米... [続きを読む]

受信: 2008年8月 1日 (金) 09時58分

» AVIREX U.S.A ミリタリーブーツ YAMATO AV2100 BLACK [いけてる靴!!]
AVIREX U.S.A ミリタリーブーツ YAMATO AV2100 BLACK大戦時代には「海軍航空隊」「陸軍航空隊」という「空軍戦力」であり、戦後は独立した米空軍の“支援”を受けて創設されたのだから 5人のファイター・パイロット列伝 (ミリタリー選書 22) (ミリタリー選... [続きを読む]

受信: 2008年8月 6日 (水) 10時44分

« 祇園祭の山鉾巡行 | トップページ | 思い切って・・・・・・(^_^)。 »