母のデートにお相伴(*^_^*)
先日、信楽の小嶋克山先生の工房を訪ねました時に、母が お願いしていました件の打ち合わせを兼ね、先生が 京都へみえましたので、柊屋旅館での会食に、またまた私も お相伴させていただきました。
川合玉堂の書が飾られました お部屋は、巨大な灯籠のあります美しいお庭に面しており、先生は、「やっぱり、ここへ来ると落ち着くね。」と、何度も おっしゃっていました。
お食事をしながら、先生が 応用心理学の研究もなさっていますこと、お若い頃は 陶芸の家業への反発心もあり、お好きな音楽で身を立てようと 放浪修行なさっていました時代がありましたこと、そして アートと医療に関する哲学から 親子兄弟の在り方に至るまで、様々なお話しをなさいました。
3時間近くの間、先生と母の語らいは弾み、私は 3言くらいは発したでしょうか ・・・ ま、お相伴ですから ・・・(^_^;)。
ところで先生は、「こんな事、人に言っても信じてもらえないから あまり言わないのだけど」 と、40年程前の1年半の間の記憶が 全く無いのだと話されました。
どうやら大阪にいらっしゃったらしい事、そして ゛伝統工芸家の I゛ というお名前だけが かすかな記憶にあり、人を介しまして ゛自分探し゛に出かけられたのだそうです。
そこで訪ね当てられました Iさんは、もうかなりのご高齢でしたが、「わしの知っている信楽の小嶋は、下宿の2階でピアノを教えていた。」と お話しされ、先生は その当時 ご自分が゛音楽の時代゛であったと 判明されたそうです。
また、Iさんの奥様が、当時の写真を出され、「これがあなたですよ。」と おっしゃっても 全く思い出すことができず、何か大きなショックがあり 記憶がとんでいますのか、未だに わからないのだそうです。
「変な話しでしょう。」と 笑っていらっしゃいましたが、私には 何となく理解できます。
先日の Mちゃんの前夜式の項でも書きましたように、私は 中学校から大学までの間、内向的な自分の性格が とても嫌いでした。 そのために、毎日学校へ行きますのを苦痛に感じていまして、その10年間、学生生活での記憶が ほとんど無いのです。
断片的には 覚えています事もあるのですが、自分が何組で 誰がいましたのか、また 担任の先生が誰でしたのかも(中1の時以外)覚えていないのです。
もちろん、アルバムを見ましたらわかるのですが、自分の記憶としては 無いのです。
多分、私の中では、゛消してしまいたい時代゛との位置付けにあり、そのために 記憶の乖離がおこっていたのでしょう。
それでも、この数年、「消してしまいたい時代」でしたものが、「それも含めての、今ある自分と、今ある環境や周囲の人達に対する感謝」 へと、意識が変化し、それに伴いまして ポツリポツリと思い出します場面も増えてきました。
ですので、克山先生の 記憶の乖離も、何となく 理解できるのです。
何だか 内容が逸れてしまいましたが、゛お相伴゛に お話しを戻します。
先付けは、蛸と白ずいき、オクラ、フルーツトマト、穂紫蘇の梅酢和えです。
椀ものは、もずく豆腐、鱧、ジュンサイ、つる菜、柚子。器は、瓢箪蒔絵です。
焼肴は、鱸オイル焼き、はじかみ、杏シロップ漬け、木の芽酢。 お皿は織部。
そして、この後は、冬瓜・湯葉の赤だしと あさりご飯、お漬け物。 デザートは、マンゴーゼリーにフルーツ盛り合わせ。 最後に、和菓子とお薄です。
ところで、トップの写真は 先日 工房でお願いしていました、アイ・メディアエージェントのロゴマークと同じ色の フクロウさんです。縁起が良いですので、会社の入り口に飾らせていただいています(^_^)。
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