高台寺・京大和にて
この数日の京都は、まるで 冬に逆戻りしましたような寒さ!! けれども 時々 雲の間から広がる日差しは、明るい春の光です。
今日は、裏千家・みこころ会の 総会&懇親会が、お家元夫人の 千容子会長を お迎えしまして、高台寺石段下の 料亭・京大和で 開かれました。
東山の高台にありますので、お庭からは 八坂の塔や 京都の街が 一望できまして、晴れ晴れとした 気分になります。
左の写真は、その昔 太閤秀吉と ねね夫人が 好んで過ごされた お部屋とのこと。障子の桟が、竹で 作られていまして 他では見ることのできない 細工なのだそうです。 400何十年か前、この同じ空間で、ねねさん達が 宴を楽しんではったのですね。この障子を開けて、京都の街を 眺めてはったのでしょう。
以前、お茶の指導をしてくださっています 業躾のM先生が、お茶杓の拝見の作法につきまして、「たとえばこれが、千利休さんが使ってはったものとしましょう。ただ形がいいとか 高そうやなぁと見るだけではなく、それを手にとるということは、何百年もの時を隔てて、利休さんが手にしてはった まさに同じ場所を 今 自分の手で持っている。そこに 思いをはせるんですね。」と おっしゃっていまして、本当にそうやなぁ~と、それからは お道具を 心をこめて大切に扱うようになりました。 そのことを思い出しまして、障子を そっと 開けてみました(*^_^*)。
床の間の掛け物は、江戸時代の浮世絵師 ゛宮川長春゛の ゛元禄の花見図゛です。表装も 興味深く、染めの着物地に 春の花が とりどりに刺繍されています。 絵の中の お店の暖簾に 右から読むように゛やとまや゛と 描かれていますのは、この 京大和のことなのだそうです。
先の お部屋もそうですが、これらのものを こんなにも良い状態で 保存なさいますには、相当のご苦労が おありのことと思います。文化財は 社会の財産ですので 責任も伴い、女将さんも 大変なのでしょうね。頭が下がります。
ところで、みこころ会は 女性ばかりの会ですので 乾杯には 甘い梅酒が 美しい切り子のグラスに注がれて 出されました。 お昼の会でしたせいか、すぐに酔いがまわり その後は 眠くて眠くて 困ってしまいました(^_^;)。 もちろん、美味しいお料理は 眠いながらも 残さずしっかりいただきましたよ(^o^)/。
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コメント
高台寺って豊臣秀吉公のゆかりのお寺
ですね。私の袱紗ばさみも高台寺の紋
様です。なぜかというとうちの家紋がなぜか
豊臣家ゆかりの桐紋だから(太閤桐では
もちろんなく五七でもなく位の低い五三の
桐ですがまあ、苗字もゆかりがあるので)
で、お茶は今は稽古はやめてますが
紫野千家という小さな流派の去年なくなっ
た先代のお家元に直接ならってました。
ここにはある島原のプログからたどってやって
きました。
唐津焼のある店には裏千家の有名な
紫に髪をそめた先生が東京からタクシー
でこられるそうですよ。
投稿: だっくすふんと | 2006年3月21日 (火) 22時26分
一番上の写真、いいですね。心が晴れ晴れする感じでもっと大きな写真が見たいです。
先日、金スマで市田ひろみさんの波乱万丈を取り上げていたのを見ました。
歴史的文化財が多く残っている京都、久しく行っていませんが行ってみたくなりました。
投稿: ひろさん | 2006年3月15日 (水) 19時23分
私も先日、同じような経験をいたしました。うちの会社の日帰り慰安旅行で佐賀県の呼子に
透明のおいしいイカを食べに行きました。
その途中で案内されたところが名護屋城跡でした。あの時代(豊臣秀吉)の巻物や屏風がございましたが、貴女様同様にとても、感銘
を受けました。
年を重ねて50歳過ぎますと、歴史というものに興味が一段とおき、又見る目も変化してくることを最近つくずく感じます。
住む世界や場所は違っても、想いや感じ方
が似てる部分があり毎日、楽しみで貴方様の
ブログを拝見させて頂いております。
お互い様、今日1日精一杯生きていきたいですね。
三女が今、大学後期の発表待ちです。いずれ、そちらの方で暮らすことになるかと思いますが、貴方様のような方がおられると思うと
うれしいし、安心です。どうぞ、よろしく?
投稿: 武久睦子 | 2006年3月15日 (水) 10時32分